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日本の教育者 ウィキペディアから
高嶺 英恒(たかみね ひでつね)は、日本の教育者、生物学者(昆虫学)。
沖縄尚学高等学校附属中学校教諭などを歴任した。
日本の教育者であり、沖縄尚学高等学校附属中学校で教鞭を執っていた[1][2]。また、在野の生物学者でもあり、特に蟻の採集や調査で知られている[1][2]。生涯を賭して採集した標本群は「高嶺コレクション」として知られ[1][2]、沖縄県において体系的に整備された標本としては最古であり[2]、同時に信頼性の最も高い参照標本とされている[2]。これらの業績から「沖縄産アリ類研究の第一人者」[3]と評されている。
中学生の頃から蟻に興味を持っていた[1]。のちに本州に移り、東京農業大学を卒業した[4]。それに伴い、農学士の称号を取得した[註釈 1]。
沖縄県に戻ると、沖縄尚学高等学校附属中学校に採用され[1][2]、教諭として勤務した[2]。教科としては理科を担当しており、特に生物や化学を専門としていた[1]。その傍ら、沖縄県における蟻の採集や調査に尽力した[1][2]。
沖縄県における蟻の採集や調査で知られており、その標本群の学術的な価値は極めて高く評価されている[2]。38年間にわたって研究を続けており[2]、計116種の蟻を採集している[2]。その中には、沖縄県のみに生息する固有種も30種含まれている[2]。また、標本の保存に関しても、既存の二重液浸法を改良した独自の手法を提唱するなど[2]、大きな足跡を残した。
これまでに集めた標本は、沖縄県において体系的に整備された最古かつ最も信頼性のある参照標本とされている[2]。この標本群について、生物学者のエヴァン・エコノモは「沖縄における生物多様性研究と、沖縄の多様性が世界の生物多様性とどのように関連するのかを理解するための研究など、我々が目指す世界レベルの研究ゴールを実現していくための貴重な資料」[1]と指摘している。2009年(平成21年)には、これまでの研究成果を纏めた『沖縄のアリ類』を寺山守や久保田敏とともに上梓している[5]。
なお、沖縄県の面積は日本の国土のわずか1パーセント未満にすぎないが[1]、日本国内で発見された蟻296種のうち146種が沖縄県に生息していることが確認されており[1]、沖縄県のアリ相の多様性はよく知られている[1]。一方、この多様性に富んだ沖縄県の蟻を網羅的に研究した者はほとんど存在しなかった[1]。そのため、長期にわたり沖縄県の蟻の研究に取り組んだ第一人者として評されている[3]。
また、大嶺哲雄や中玉利澄男とともに土壌動物相について研究するなかで[6]、側溝に小動物が落ちると雨期には一気に河川まで流されてしまうと報告している[7]。沖縄県ではU字溝に落ちた野生動物の被害が問題となっているが、高嶺らの研究はこの問題を史上初めて指摘した報告として知られている[7]。
そのほか、沖縄科学技術大学院大学などを中心に展開されている「OKEON美ら森プロジェクト」にも参画しており[3]、プロジェクトに対して沖縄県の蟻に関する分布データ等を提供している[3]。
これらの業績や貢献に対し、2015年(平成27年)11月26日には沖縄科学技術大学院大学より感謝状が授与されている[8]。
生涯を賭けて採取した標本群は、のちに沖縄県立博物館・美術館や沖縄科学技術大学院大学に収蔵されることになった[4]。2015年(平成27年)11月26日には沖縄科学技術大学院大学で寄贈式が挙行された[1]。その際、学長代理のアルベルヒト・ワグナーから「長年かけて採集された貴重なコレクションを寄贈いただき誠に光栄です」[1]とのコメントが発表された。沖縄科学技術大学院大学では、この標本を高嶺の名を冠して「高嶺英恒コレクション」と称しており[9]、大切に保管されている。
かつて高嶺英言が製作した『石垣島川平の植物分布図』についても、沖縄県立博物館・美術館に寄贈している[10]。
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