高倉永則
日本の陸軍軍人、有職家、政治家 ウィキペディアから
高倉 永則(たかくら ながつね、1864年5月16日(元治元年4月11日[1])- 1947年(昭和22年)7月18日[1][2])は、明治から昭和前期の陸軍軍人・有職家[3]・政治家。最終階級は陸軍歩兵大佐。貴族院子爵議員。

経歴
山城国京都で侍従・高倉永祜の長男として生まれる[1][4]。慶応4年(1868年)父の死去に伴い家督を相続。1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[5]。
陸軍士官学校(旧10期)に入り[6]、1888年(明治21年)7月28日、歩兵少尉に任官[7]。以後、歩兵第20連隊小隊長、同大隊副官、同中隊長、歩兵第39連隊大隊長、京都連隊区司令官などを歴任[2]。1914年(大正3年)1月20日、歩兵大佐に昇進[7]。1916年(大正5年)11月15日に待命となり[8]、1917年(大正6年)4月1日、予備役に編入された[9]。
1920年(大正9年)1月17日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[10][11]、研究会に所属して活動し1932年(昭和7年)7月9日まで2期在任した[2]。その他、大礼使典儀官、大喪使祭官、大礼事務嘱託(衣文奉仕)などを歴任[2][3]。また、華族会館京都分館長、一徳会会長、小楠公会会長、大日本武徳会本部理事などを務めた[3][4]。
栄典
親族
脚注
参考文献
ギャラリー
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