Remove ads
ウィキペディアから
雪山讃歌(ゆきやまさんか)は、日本の唱歌。アメリカ合衆国の民謡『いとしのクレメンタイン(Oh My Darling, Clementine)』のメロディに西堀榮三郎[注 1]らが独自の日本語の歌詞をつけたものである。
本作の作詞は著作権の保護期間中のため、日本国著作権法第32条および米国著作権法第107条によりフェアユースと認められる形式の引用を除き、ウィキペディアへの掲載は著作権侵害となります。また、演奏などの著作隣接権についても注意ください。 歌詞全文はTemplate:歌ネットやTemplate:Genius songを使用した外部リンクにより合法的な参照が可能です。 なお作曲については著作権保護期間が終了しました。 |
1927年(昭和2年)1月に群馬県吾妻郡嬬恋村の鹿沢温泉を京都帝国大学山岳部の仲間たちと訪れた西堀が、吹雪で宿に足留めされた際、退屈を紛らわせるために「山岳部の歌を作ろう」と仲間に提案し、仲間うちで好きなままに言葉を当てはめて作詞をしたものだという[1]。歌は学生登山家や当地周辺の山岳観光関係者に広まり、歌い継がれるようになる。
のちに本作の代表的な歌唱者となるダークダックスのメンバー・喜早哲は、グループ結成前の1950年(昭和25年)頃、慶應ワグネルのメンバーでスキーをしに長野県志賀高原に訪れた際に、バスの車掌がこの歌を口ずさんでいるのを聴いたことで、初めて存在を知った[2]。
1951年(昭和26年)、朋文堂の雑誌『山』7月号の特集記事[3]で歌詞とメロディが初めて紹介された。この際、作詞者不詳とされたが、桑原武夫[注 2]が西堀榮三郎を作詞者として著作権登録の手続きを行った。この著作権印税によって、京都大学山岳部の財政が潤ったという。
1971年(昭和46年)[1]、鹿沢温泉に歌碑「雪山讃歌の碑」が建立された。揮毫は西脇によるもの。
日本国内において、歌詞は2059年まで著作権保護期間内である。
1958年7月にダークダックスがテイチクレコードでレコーディングし[4]、同年9月に6曲入りEP『ピクニック・ソング』(テイチク NEP-1052)の1曲として発売し、翌1959年6月にシングルカットされた。同年の第10回NHK紅白歌合戦で歌唱した。ダークダックス盤は1959年のテイチクの流行歌レコード売上で年間10位を記録した[5]。これに気を良くしたのか、ダークダックスは「山男の歌」のレコーディングも手掛けてヒットを飛ばしている。
ダークダックスは後にキングレコードからもシングルとして発売しており、キング盤の1968年時点での累計売上は30万枚[6]。
NHKの『みんなのうた』では、放送開始間もない1961年12月から1962年1月にかけて放送された。荒谷俊治が編曲し、東京少年少女合唱団が歌った。なお作曲名義は「アメリカ民謡」とされた[7]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.