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日本の東京都墨田区にある相撲部屋 ウィキペディアから
明治時代からの伊勢ノ海系統の陸奥部屋からは、昭和に入って関脇・大潮が出た。大潮は1937年(昭和12年)から二枚鑑札で陸奥部屋を継承し、若潮を幕内まで昇進させたが、それ以外に幕内力士を出すことはできず、1960年(昭和35年)に部屋を閉鎖して自身は時津風部屋へ移籍した。その縁で、陸奥の年寄名跡は時津風一門に属するようになった。
1947年6月に元幕内・鶴ヶ嶺が現役を引退し年寄・11代井筒を襲名して再興された井筒部屋は関脇・鶴ヶ嶺や幕内・逆鉾、太刀風などの関取を育て上げた。
1972年3月に11代井筒が死亡すると、その後継者を巡って意見が一致せずに、部屋付き親方であった10代井筒時代からの弟子・5代陸奥(元幕内・星甲)が12代井筒を襲名して部屋を継承。対して8代君ヶ濱(元関脇・鶴ヶ嶺)は分家独立して君ヶ濱部屋を創設した。当時2人いた幕内力士のうち、大雄は井筒部屋に残り、錦洋は君ヶ濱部屋へ移籍。また22代式守伊之助およびその弟子の行司も君ヶ濱部屋へ移籍した。
その後、12代井筒は1974年4月に年寄名跡を返上して7代陸奥を襲名し、同時に部屋の名称も陸奥部屋へと改称した。
7代は1991年(平成3年)2月に日本相撲協会の停年(定年)を迎えたことに伴い、その直前となる同年1月場所限りで11代井筒時代に同部屋に入門した星岩涛が現役を引退し、同年2月に年寄・8代陸奥を襲名して部屋を継承した。8代が師匠を務めた時期には、7代時代からの弟子であるアルゼンチン出身の星誕期と星安出寿が十両へ昇進したが、幕内力士は出せなかった。8代陸奥は1997年12月に井筒部屋の部屋付き親方である10代勝ノ浦(元大関・霧島)に部屋を譲渡して日本相撲協会を退職した。10代勝ノ浦は9代陸奥を襲名して部屋を継承すると共に、部屋を両国駅前の旧両国予備校の校舎の1棟として使われていた建物に移転した。2000年9月には14代立田川(元関脇・青ノ里)の停年退職によって閉鎖された立田川部屋を吸収合併した[1]。さらに2019年9月場所中に、9代陸奥の弟弟子である15代井筒(元関脇・逆鉾)が急死[2]し、師匠が不在[3]となった井筒部屋が閉鎖されたため、同部屋に所属していた横綱・鶴竜を含む力士3人と床山1人を引き取った[4]。この受け入れで11代井筒逝去後に分裂した部屋が再び一つとなった。
9代が師匠に就任して以降は、序二段時代に立田川部屋から移籍してきた白馬が小結へ昇進している。部屋の生え抜きの力士としては、2008年1月場所において霧の若が新十両へ昇進し、9代が育てた力士としては初の関取となった。それから丸12年後の2020年1月場所において霧馬山が幕内に昇進し、9代が育てた力士としては初の幕内力士となった。その後、霧馬山は2021年11月場所に新三役に昇進[5]、2023年3月場所で初優勝[6]、2023年7月場所に大関昇進を果たし、9代の現役時代の四股名である霧島に改名した。
2023年12月27日、部屋付きの第71代横綱鶴竜(横綱5年により現役名で年寄襲名)が、24代音羽山を襲名すると同時に独立し、音羽山部屋を新設した[7]。
2024年4月2日、9代陸奥の停年(定年)退職を翌日に控えて、陸奥部屋は閉鎖されることになった。閉鎖に当たって、9代陸奥は所属力士に対する意向の調査を行っており、この結果所属力士8人中4人が引退[8]、残った4人の力士及び9代陸奥、部屋付き親方、若者頭、世話人、呼出、床山は音羽山部屋、荒汐部屋、伊勢ノ海部屋、追手風部屋の4部屋に分かれて転籍をすることになった[9]。
7代~9代時代の力士のみ記載。太字は現役。(※は立田川部屋からの移籍)
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