阿部慶二
ウィキペディアから
ウィキペディアから
阿部 慶二(あべ けいじ、1961年4月20日 - )は、大阪府岸和田市出身の元プロ野球選手(内野手)。
PL学園高では、1978年夏の甲子園で控え内野手ながら優勝を経験する[1]。翌1979年春の選抜は遊撃手として出場。中西康智(近大)の好投もあり準決勝に進出する。エース石井毅を擁する箕島高と対戦、この試合では中西をリリーフして延長10回に甲子園初登板を果たすが、自らの暴投でサヨナラ負けを喫した[2]。しかしこの大会では3本塁打を放ち、高校同期の小早川毅彦、山中潔らとともにチームを引っ張った。同年夏の甲子園府予選でも決勝に進出するが、浪商の牛島和彦、香川伸行のバッテリーに抑えられ敗退、甲子園出場を逸する[1]。中西、小早川、山中以外の同期に山崎剛がいた。
卒業後は亜細亜大学に進むが中退し、社会人野球のヤマハ発動機に進む。1982年の都市対抗野球にチーム初出場を果たし[3]、同年の日本選手権でも初優勝に貢献。
1983年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから6位指名を受け入団。
1984年8月、巨人戦で初打席初本塁打を放って鮮烈なデビューを果たす。1986年には2試合に三塁手として先発出場。
しかし、その後は伸び悩み、1988年シーズン終了後に現役を引退。
引退後もチームに残り、守備走塁コーチ補佐、その後守備走塁コーチとして後進の指導・育成にあたった。2011年からはフロント入り[4]。
2008年シーズン、FMラジオ局広島エフエム放送の番組「DO THE CARP」にてアナウンサーの中川真由美と共にDJを務めていた。番組中に身内と思われるメールが届き、帰宅するとご近所さんと家族が一緒に食事をしており、ギャグに対し駄目だしをされた。
同年、広島東洋カープと提携している中国のチームにコーチとして派遣されることが決まり、7月21日の放送をもってDJ業を三軍コーチの道原裕幸に譲り、番組を卒業した。しかし、予定より早く帰国することになり、8月25日の上記放送に電話で出演した際、道原に復帰を促され了承し、9月1日の放送から番組のDJに再び就任した。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.