間部 詮長(まなべ あきなが)は、江戸時代中期の旗本。赤坂間部家当主・間部詮衡の長男。妻は秋田季成の娘[1]。
正徳5年(1715年)、間部詮衡の長男として生まれる。享保10年(1725年)11月、赤坂間部家の家督と遺領を継ぎ小普請になる。享保16年(1731年)4月、詮長の屋敷が焼失する。元文元年(1736年)7月、才三郎から図書に改名する[2]。寛保元年(1741年)10月には西丸書院番になり世子時代の徳川家重に仕えた[3]。延享2年(1745年)10月、鯖江藩主間部詮方の名代を勤めた褒美として、鯖江藩から「干鯛一折・御樽代三百疋」を賜る[4]。宝暦2年(1752年)7月、屋敷地を愛宕下から三河台へ移転する[4]。明和3年(1766年)9月、死去。享年52。家督は長男の詮番が継いだ。
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