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日本陸軍の軍人 ウィキペディアから
長谷川 直敏(はせがわ なおとし、1873年(明治6年)4月8日 - 1953年(昭和28年)2月13日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。旧名、西村直次郎。
京都府出身。西村八右衛門の二男として生れ、医師・長谷川真敏の養子となる。平安義黌を経て、1895年(明治28年)2月、陸軍士官学校(6期)を卒業。同年5月、歩兵少尉に任官し歩兵第9連隊付となる。翌月、乙未戦争(台湾)に出征した。中央幼年学校生徒隊付などを経て、歩兵第8連隊中隊長として日露戦争に出征。1904年(明治37年)5月、戦傷を受け、同年9月、歩兵第7旅団参謀となった。日露戦争のため中退した陸軍大学校に復校し、1907年(明治40年)11月、陸大(19期)を卒業した。
以後、参謀本部出仕、参謀本部員、第10師団参謀、仙台連隊区司令官などを歴任し、1916年(大正5年)4月、陸軍大佐に昇進し歩兵第20連隊長に就任。第10師団参謀長を経て、1920年(大正9年)5月、陸軍少将に進級し陸軍中央幼年学校長に就任。陸士予科校長、陸士本科長を歴任し、陸軍省人事局長となり1924年(大正13年)12月、陸軍中将に進んだ。1926年(大正15年)3月、第10師団長に親補され、近衛師団長、東京警備司令官を務め、1930年(昭和5年)12月に待命となり、翌年1月、予備役に編入された。
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