長谷寺 (長野市)
長野県長野市にある寺院 ウィキペディアから
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長谷寺(はせでら)は、長野県長野市篠ノ井塩崎にある真言宗智山派の寺院。山号は金峯山。通称、信濃長谷寺。
信濃長谷寺 | |
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観音堂 | |
所在地 | 長野県長野市篠ノ井塩崎878番地 |
位置 | 北緯36度32分55.1秒 東経138度05分57.7秒 |
山号 | 金峯山(きんぽうざん) |
院号 | 龍福院 |
宗派 | 真言宗智山派 |
本尊 | 十一面観世音菩薩(人肌観音) |
創建年 | 伝・飛鳥時代(637年) |
開基 | 白助翁 |
正式名 | 金峯山 龍福院 長谷寺 |
別称 |
信濃観音寺 長谷観音 |
札所等 | 信濃三十三観音霊場第18番 |
公式サイト | 金峯山 長谷寺ホームページ |
法人番号 | 7100005000739 |
寺伝では、舒明天皇の時代(629年-641年)に允恭天皇の六代目の子孫で、祖父の代に当地に流罪となって土着した白助(白介)が、信濃善光寺の阿弥陀如来のお告げにより、大和初瀬山より十一面観音菩薩を勧請し、承和5年(883年)建立したのが起源とする。
大和初瀬の長谷寺(奈良県桜井市)は、朱鳥元年(686年)、川原寺の道明が元長谷寺を創建したのが始まりで、神亀4年(727年)に徳道が十一面観音像を造立し、現在の長谷寺を開山したと伝えられている。大和の長谷寺は、奈良時代から存在した寺院であることは確かだが、上記の草創説話はあくまでも伝承である。したがって、大和長谷寺から十一面観音像を勧請したとする信濃長谷寺の起源についても、どこまで史実を反映したものかは定かでない。
寺の裏山からは仁平元年(1151年)銘の金銅経筒が発掘されており、この年、大師の某氏が『妙法蓮華経』・『無量寿経』を長谷山に埋経したことがわかる。
長野県長野市篠ノ井塩崎878 (寺院発行の冊子によれば長野県長野市篠ノ井塩崎長谷白助)
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