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陶磁器などでできた器具で、入れた灰の上で炭を燃焼させ、暖房や簡単な調理を行うもの ウィキペディアから
火鉢(ひばち)は、陶磁器や金属や木材などでできた器具で、入れた灰の上で炭を燃焼させ、暖房や湯沸かしや簡単な調理を行うもの。火櫃(ひびつ)や火桶(ひおけ)などともいい、冬の季語[1]。
形状により長火鉢、角火鉢、六角火鉢、丸火鉢などの種類がある。材質は陶器や木製、金属製のものが多いが珍しい石製のものもある。大きさも数人がかりで動かす大名火鉢から、手あぶりと呼称される小形火鉢まで様々ある。また、手さげ火鉢もある[2]。
置炉としての火鉢は奈良時代に登場した[2]。薪のように煙が出ないことから上流の武家や公家に使用されていたものが、江戸時代から明治にかけて庶民にも普及し、一部はインテリアとして発達し、彫金を施された唐金(金属)製の火鉢や、鮮やかな彩色をされた陶器製の火鉢が作られた。昭和初期までは暖房用とともに半炊事用を兼ねるような道具であった[2]。戦前は駅の待合室にさえ見られたが、木炭は着火に手間がかかる上、一酸化炭素中毒や火災の危険があるため戦後の高度経済成長とともにストーブ等が普及するにつれ消えていった。以降は主に愛好家の収集対象となっており、骨董品やインテリア目的で流通し、植木鉢や、水を張って睡蓮鉢や大型の金魚鉢として庭先で見かけることもある。
火道具
空の火鉢の底に小石などを敷く。その上から灰(藁灰がよい)を、火鉢の1/2-2/3ほどまで入れる。“おとし”と呼ばれる炉部分が銅などで作られた木製火鉢の場合、小石が湿気を含んでいると銅板がさびるので灰だけ入れた方がよい。灰は断熱材なので深さ10cmもあれば炭の熱の心配は無い。古い灰は篩にかけて塊やごみを除く。湿気ている場合は干してから入れる。
炭:黒炭と白炭がある。黒炭とはクヌギ、ナラ炭など。日常使いの実用的なものから、茶席でも使用される佐倉炭、池田炭などのブランド品まであった。火つきはいいが持ちはあまりよくない。備長炭などの白炭はカシやウバメガシなどを使う。火つきが悪いので最初に熾す。
熾し方:最初は火つきのいい黒炭から始める。ガス火で火を起こす場合は、2-3本の炭を火おこしに入れて火にかけ、炭全体が赤く色づくまで加熱する。炭が暖まったら、十能に入れて運び、火鉢の灰の上に、空気が通るように適当な間隔をあけて並べる。茶道などでは、この炭の配置には多くの規則があり、綿密に規定されている。固形燃料や豆炭を使用すると火をおこしやすいが、灰に石炭がらや不純物が混じることを嫌う向きもある。火力の調整は、炭の量の増減や配置、灰のかぶせ加減を調整することによって行う。炭から炎があがる状態よりも、炭が赤く色づいている程度の方が持ちが良い。炭を継ぐ場合、新しい炭を下から加熱すると発煙したりはぜたりするので、木炭は薪と違い、熾った炭を上にして上から下に徐々に火を移してゆく。炭の断面より皮側が火が移りやすい。火を消す場合は火消し壷に入れる。炭を扱うには火箸を用い、使わないときは火鉢の隅の灰に突き刺すなどしておく。五徳を使う場合は、灰の中に2-3cmほど埋め、鉄瓶などを載せても傾かないようにする。五徳は爪を上に向けて使っても、下に向けて使ってもいい。五徳の上に水を張った鉄瓶等をかけておくと加湿器代わりになる。五徳の上に網を乗せ餅などを焼くことができるが、魚などの臭いのきついものを焼くと臭いがつく。長火鉢の場合、銅壷をいれて湯を沸かしたり酒に燗をつけるためにも使われる。
注意点
箱火鉢とは、銅製のおとし(炉)を、木製の化粧板の箱の中に収めた箱型の火鉢。また長火鉢は、箱火鉢に付属の引出しをつけ、物入れ兼用にした横長の火鉢。
右画像は関東火鉢、或いは江戸長火鉢と呼ばれる。火鉢部分の右横に猫板とよばれるスペースがある。猫板の下に2~3段の引出しが付き、火鉢の下にも横に2つ引出しが並ぶのが一般的。引出しは乾燥するので茶筒、煎餅や海苔など湿気を嫌うものを入れる事が多い。材質は桜や桐、また欅がその堅さゆえ多く使用されており、上部の縁に黒柿(柿の木数百本の1本の割合で存在)を使用したものが特に珍重された。欅材は玉杢と呼ばれる杢目の多さでその価値が決まったとされる。引き出し面の反対側に客人を座らせることから、関東火鉢は引き出し面の反対側を表側とする。表面にはその時最も良いとされる杢目の板を使うのが江戸指物師の心意気、また持ち主は念入りに布巾をかけ、光らせるのが粋だった。関西の長火鉢は上部にテーブルのような張り出しがあるのが特徴。
扱いが面倒な木炭の欠点を解決するため、安価な練炭を燃料に使用できるようにした火鉢。着火した練炭コンロを火鉢本体の中にはめこんで使用する。下部の空気窓で火力を容易に調節することができる。木炭火鉢に比較すれば手軽で実用的であり、また煮物などの調理にも使用できたため大いに普及し、昭和三十年代頃までは各家庭に普通に見ることができた。その後は後述の石油火鉢などに市場の主導権を明け渡したが、高齢者にいまだ愛用者が多く現在でも販売されている。また、練炭の一度火をおこせば長時間熱源として利用出来る長所から、防災用品として利用されている場合もある。練炭火鉢は形状が類似している事から、七輪と混同される場合も多い。
灯油を燃料とする石油ストーブのうち、芯式の反射型ストーブの構造を円筒形の火鉢様の筐体に納めたもの。通常の反射型ストーブが筐体の前面に熱を放射する構造に対して、石油火鉢は筐体の真上に集中して熱を立ち上らせる構造となっており、開口部に五徳が置かれている為、暖房の他に調理器具としても使用する事が出来る。石油火鉢には周辺機器として中央に丸い穴が開けられた専用の座卓が用意されており、鍋料理を囲う団欒を意識した使用も可能となっている。石油火鉢は石油ストーブと同様に火力調整が簡便で、燃料の調達も容易な事から、練炭火鉢に代わって昭和時代の後期に普及したが、純粋な暖房器具としては石油ストーブや石油ファンヒーター、エアコンなどに取って代わられ、団欒の用途でもカセットコンロなどの台頭により石油火鉢は市場の主導権を明け渡している。しかし、2014年現在でも芯式反射型ストーブの製造メーカーにより製造が継続されており、現代風に「ホームヒーター」や「サロンヒーター」などの名称が与えられて販売が行われている。
火鉢は、日本各地で生産されていたが、第二次世界大戦直後には信楽焼が火鉢の生産数の大半を占めた。信楽町では、1949年には火鉢の生産量がピークに達し、300軒の窯元が年間2億円の売り上げを記録していたが、次第に火鉢が家庭に行き渡ったこと[4]やエネルギー源が石油やガスへと切り替わったことから生産量は激減した。
北アメリカではバーベキュー用の鉄板のグリルを「Hibachi」と称する。七輪と火鉢を混同したのが原因と見られる[5]。Hibachi Restaurantとはシェフが鉄板焼きのグリルの前で様々なパフォーマンスをして客を楽しませながら食事を提供する鉄板焼きショーの店である。
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