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金森 掃部(かなもり かもん、天正18年(1590年)?‐没年不明、または生没年不詳)は、安土桃山時代から江戸時代前期の武将。
名前は不明。出生および生涯に関して2説ある。
『土屋知貞私記』には掃部が25歳で大坂の陣に参加したとある[1]。但し金森氏家系図に該当なし。
金森可重の子と伝わる。金森宗和は兄、重頼は弟に当たる。(身分の扱い上、重頼の弟にされている。)
母の身分が低かったため、興惣次郎という町人に育てられる。
慶長19年(1614年)の大坂の陣で豊臣方に参戦。父・可重らと対峙する。
大阪城落城後の消息は不明。
信憑性は確かではないが、『飛騨編年史要』に本家からの絶縁経緯がみられる。金森氏家系図にも該当。但し年齢は全くもって不明。
金森長近の兄、政近の嫡男として誕生。
名は一吉、掃部介。別名に金森掃部介可憲(かなもりかもんのすけありのり)[2]。弟に金森主殿義隆。
この際三木氏の残党とともに飛騨に侵入したため、金森可重に絶縁状を出され、飛騨を退去した。
大坂の陣にも豊臣方で参戦。(夏の陣で参戦は見られるが、冬の陣は不明。)
和睦後、城を退去して尾張徳川家に仕えた。
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