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金村 清(かねむら きよし、1939年6月16日 - )は、滋賀県[1]出身の元プロ野球選手。
大津東高校(1956年4月に膳所高等学校に改称)では、2年生の時、三塁手として1956年春の選抜へ出場[1]。2回戦(初戦)で、この大会に優勝した中京商の安井勝に抑えられ、延長10回サヨナラ負け[2]。同年夏の甲子園予選は京滋大会決勝で平安高に惜敗。翌1957年夏の甲子園予選も京滋大会決勝でまたも平安高に敗退。高校同期にエースの石田博三がいた。
同志社大学に進学。関西六大学野球リーグでは、エース山尾孝雄を擁し1960年春季リーグで優勝。同年の全日本大学野球選手権大会は、決勝で法大の山崎正之、新山彰忠の継投の前に、延長14回の末に敗れ準優勝に終わる。
1962年に南海ホークスへ入団[1]。1年目から一軍に上がり、バディ・ピートの控えではあるが、2試合に三塁手として先発出場。しかしその後は活躍の場に恵まれず、1964年限りで引退。
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