野崎酒造

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野崎酒造

野﨑酒造(のざきしゅぞう)は、東京都あきる野市戸倉に本社および工場を置く日本の酒造会社。現在、東京にて伝統を守っている10軒の酒造業者の一つである。

概要 種類, 市場情報 ...
野﨑酒造株式会社
Nozaki shuzo Co.,Ltd.
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野﨑酒造
(2016年10月6日撮影)
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野﨑酒造付近
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本
190-0173
東京都あきる野市戸倉63番地
設立 1884年(明治17年)
業種 食料品
法人番号 9013101001122
事業内容 酒造業
代表者 代表取締役 野﨑 三永
売上高 製造石数400石
外部リンク http://www.kisho-sake.jp/index.htm
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概要

越後生まれの農家の次男・野﨑喜三郎(幼名・銀蔵)は、幕末の1862年(文久2年)の16歳の時に、江戸に出てきた。杜氏として各地で経験を積んでいたとき、西多摩郡戸倉村(現・あきる野市戸倉)で貸蔵があるということを聞き、独立して酒造に携ることを決意したのが始まり。そして、1884年(明治17年)、野﨑喜三郎によって野﨑酒造が創業された。当初は、資金二百円を用立てて、初年度105石の酒を造った。現在、5代目・野﨑三永が、「喜正」ブランドの日本酒を醸造販売する老舗酒造メーカーである[1]

「喜正」の由来

明治初期は、野﨑酒造の屋号を「中村屋」としていた。明治中期頃、酒に名前を付けることが流行った。当初は「喜三郎」の「喜」をとり、「喜笑」としていたが、酒は仏事にも使うため具合が悪いので、「正しい」にかえて「喜正」とした[1]

仕込水

喜正の仕込水は、戸倉城山より湧く伏流水を使用している。古くから戸倉の人々の生活水として使われ、現在も大切に維持管理されている。水質は「やや軟質」で、酒の品質を劣化させる「」「マンガン」が非常に少なく、酒造りに適している[2]

酒造り

喜正の酒造りは、昔ながらの手仕込で行っている。昨今、機械化が進む中で、現在でも「こしき」を用い、(1)酒造米、(2)精米、(3)洗米、(4)浸漬、(5)蒸し、(6)本仕込、(7)上槽、(8)濾過、(9)火入、(10)殺菌、(11)瓶詰め、(12)製品 と、杜氏が手間をかけ仕込んでいく手作り酒[3]

沿革

  • 1862年(文久2年) - 農業・野﨑喜三郎、越後から江戸に出て、杜氏として各地で酒を造る。
  • 1884年(明治17年) - 野﨑喜三郎、西多摩郡戸倉村で酒造を創業。製造石高は105石だった。
  • 年代不詳(明治初期) - 屋号を「中村屋」とする。
  • 年代不詳(明治中期) - 酒銘を「喜正」とする。
  • 年代不詳(昭和30年前半) - 米を焚いて蒸らす「釜場」を建築。
  • 年代不詳 - 店舗の改修工事を行った、設計は「古民家再生」に熱心な降旗建築設計事務所が担当した[4]
  • 2016年(平成28年) - 現在、5代目当主・野﨑三永が継いでいる[1]
  • 2016年(平成28年)11月 - JR両国駅舎内の商業施設「-両国-江戸NOREN」に「東京商店」オープン[5]

営業情報

  • 定休日 - 11 - 3月(仕込期間)日曜日・祝日、4 - 10月 土・日曜日・祝日
  • 営業時間 - 午前10時 - 午後12時、午後1時 - 午後5時
  • 駐車場 - 有り
直営販売店
  • 定休日 - 11 - 3月(仕込期間)日曜日、4 - 10月 土・日曜日・祝日
  • 営業時間 - 午前10時 - 午後12時、午後1時 - 午後5時
  • 酒造見学 - 非公開

受賞歴

全国新酒鑑評会

  • 平成15酒造年度 - 「喜正」金賞受賞[6]
  • 平成16酒造年度 - 「喜正」金賞受賞[7]
  • 平成18酒造年度 - 「喜正」金賞受賞[8]
  • 平成22酒造年度 - 「喜正」金賞受賞[9]
  • 平成23酒造年度 - 「喜正」金賞受賞[10]
  • 平成24酒造年度 - 「喜正」金賞受賞[11]
  • 平成25酒造年度 - 「喜正」金賞受賞[12]
  • 平成26酒造年度 - 「喜正」金賞受賞[13]
  • 平成27酒造年度 - 「喜正」金賞受賞[14]

交通

鉄道
路線バス
  • 西東京バス - 武蔵五日市駅から、払沢の滝入口、小岩、藤倉、数馬または上義沢行きに乗車、「戸倉」バス停下車徒歩1分

ギャラリー

脚注

関連文献

関連項目

外部リンク

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