Loading AI tools
中国遼寧省の地級市 ウィキペディアから
遼陽市(りょうよう-し)は、中華人民共和国遼寧省に位置する地級市。古代より遼東における中華帝国の中心であった軍事上の重要都市であり、また新興の工業都市である。
遼陽はかつて襄平と称し、この地方一帯を中国が支配する上での中心地となっていた。
戦国時代には燕の遼東郡の中心地だった。秦は遼東郡の郡治をここに置き、前漢・後漢の頃に領土が東へ拡大した時期は玄菟郡に属した。
404年、高句麗が襄平を占領し、遼東府と改名した。唐が高句麗を滅ぼし(唐の高句麗出兵)て置いた安東都護府は、後に所在地を平壌から襄平に移している。
遼代に遼陽と改名され、遼の副都(陪都)・東京遼陽府となった。遼の後の金も東京遼陽府を副都としている。この時期東京にいた皇族の烏禄は、第4代皇帝海陵王に反抗する勢力に擁立され海陵王を滅ぼし、第5代皇帝世宗として即位、遼陽に白塔などを建設した。
元は遼陽行中書省の治所を、明は遼東都司を、それぞれこの地に置いた。後金(後の清)は1622年、遼陽に遷都したが、遼陽は周囲の城壁が長いため守りにくく、また城内の漢人たちが反乱を起こす恐れがあるため郊外に新しい城壁都市デルギ・へチェン(dergi hecen、東京城)を築いた。3年後ムクデン(奉天)に遷都する際に木材や石材がムクデンに運び出され東京城は廃墟になっている。遼陽はその後、遼陽州と改称し、奉天を本拠とする盛京将軍(後の奉天省)の管轄下に置いた。
日露戦争では1904年8月から9月にかけて遼陽会戦の戦場となった。隣接する鞍山の製鉄業が盛んになると、農業や軽工業の盛んな遼陽は鞍山に食糧などを供給する役割を果たした。
5市轄区・1県級市・1県を管轄する。
この節の出典[1]
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.