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辰市城(たついちじょう)は、奈良県奈良市東九条町にあった日本の城(平城)。短期間で築城され、大和最大の合戦である辰市城の合戦の舞台となった城である。
辰市城は奈良駅より南西の2.6kmの旧辰市小学校、現在の辰市幼稚園周辺にあった平城で、城郭についてはほとんど不明である。『多聞院日記』や『筒井家記』より、短期間で堀と塀が築かれたと思われている。現在辰市幼稚園の周辺は宅地化、耕作地となっており石碑もなく、城跡をうかがい知れるものはほとんど無い。
辰市城の沿革もこの辰市城の合戦のみで、いつ頃廃城になったか、辰市城の合戦のみ存在していたのか、詳しい事は解っていない。
筒井順慶は筒井城の戦いで居城を奪われ福住中定城に在城していたが、十市城の奪回を計画していた。そんな中松永久秀軍に属していた十市遠勝が病死すると、十市城では内訌が生じ松永派と筒井派に城内が分裂した。その分裂を利用し『多聞院日記』によると筒井軍と興福寺軍500兵が連合軍となって永禄13年(1570年)7月27日夜半より攻撃を開始し、城内にいる筒井派の手引により、十市城は順慶が攻略することとなった。筒井軍は郡山城を攻城させようと迫っていた松永久秀軍を破ったほか、窪之庄城を奪回し、椿尾上城を築城した。
この時期、久秀は大規模な反撃部隊を派兵していない。これは織田信長に反抗した北近江の浅井長政の討伐軍に大半を投入していたからと考えられている。
甲斐の武田信玄が元亀2年(1571年)3月に信長の同盟者徳川家康の領国三河に侵攻、同年4月には足助城、野田城を落城させた。信長の要請に応じて柔軟に兵力を出すことに不満をもっていた久秀は、前年の元亀元年(1570年)5月、武田信玄と本願寺法主顕如が同盟を結ぶと、自らも信玄と同盟を結び信長に謀反をおこす。反信長であり東大寺大仏殿の戦い等で戦った三好三人衆とも信玄の仲介で和睦する。
順慶が久秀の居城多聞山城を本格的に攻城しようと、強力な拠点となるべく着目したのは辰市村で、現在の奈良市東九条町に位置している。筒井城から東北に6kmの距離になる。ここに順慶の命をうけた井戸良弘が向城を築き、同年7月3日に築いたとされている(『筒井家記』)。また同年8月2日に「辰市二筒ヨリ用害沙汰之」(『多聞院日記』)とあるが、『日本城郭大系』によると、その後すぐに辰市城の合戦が始まる事から『多聞院日記』の記述は「あわただしすぎる」と記載している。
信長に謀反をおこした久秀は筒井軍討伐を開始した。同年8月4日信貴山城を出立した松永軍は三好義継の援軍と多聞山城を出立した息子の松永久通の軍と大安寺で合流し、辰市城での合戦が開始される。この時の戦いの様子が「筒井松永ノ両勢対陣シ、互二時ノ声三度合シテ 弓鉄砲ヲ居掛タリ、ソノ声四方二響渡リ、樹海二応ヘテ、天地モ震動スルカト覚ヘタリ」(『和州諸将軍伝』)と記されている。
戦いは長時間に渡って続いたと思われる。大軍で押し寄せた松永軍は、塀を引き落とし、堀に橋をかけて攻城戦を仕掛けてきた。当初松永軍は優勢であったが、高樋城、椿尾上城、郡山城から順慶への援軍が到着し松永軍へ反撃していく。これに加え福住中定城にいた福住順弘、山田順清隊が来援し始めると松永軍は崩れ始めてくる。松永軍の多くの武将をはじめ首級500の他に手負い500を数え、鉄砲、槍、刀等を捨てて多聞山城にたどり着き、「大和で、これほど討ち取られたのは、はじめてのことだ」と記載されている(『多聞院日記』)。一方、筒井軍も援軍に駆け付けた山田順清をはじめ多くの武将が討ち取られた。
この戦いで敗れた久秀は筒井城を手放してしまい順慶に奪回された。同年8月6日、順慶は信長の元に松永軍の首級240を送っている。また翌8月7日、松永軍に属していた高田城を落とし40の首を挙げた。その後佐久間信盛、明智光秀の仲介で同年11月1日に久秀と順慶は短期的な和睦をしたとされている(『和州諸将軍伝』)。しかし本格的な和睦は翌天正元年(1573年)4月に武田信玄が上洛中に病死、同年7月19日に槇島城の戦いで足利義昭が追放され、8月20日の一乗谷城の戦いで朝倉義景が、8月28日の小谷城の戦いで浅井長政が、11月の若江城の戦いで盟友でもあった三好義継が攻め滅ぼされ信長包囲網が崩れた後で、久秀は信長に帰服を申し出、条件として12月26日に多聞山城を明け渡すことになる。翌天正2年(1574年)正月に順慶も岐阜城に赴き信長へ正式に従う事になる。
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