輝く星座/レット・ザ・サンシャイン・イン
ウィキペディアから
「輝く星座/レット・ザ・サンシャイン・イン」(Aquarius / Let the Sunshine In)は、フィフス・ディメンションが1969年3月に発表したシングル。1967年10月初演のロック・ミュージカル『ヘアー』の最初と最後の曲のメドレー。同年4月から6週連続全米1位を獲得し[2]、翌年グラミー賞最優秀レコード賞・最優秀ポップ・パフォーマンス賞を受賞した。
「輝く星座/レット・ザ・サンシャイン・イン」 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
フィフス・ディメンション の シングル | |||||||
初出アルバム『The Age of Aquarius』 | |||||||
リリース | |||||||
ジャンル | サイケデリック・ソウル、サンシャイン・ポップ | ||||||
時間 | |||||||
レーベル | Soul City Records | ||||||
作詞・作曲 |
ジェームス・ラド ジェローム・ラグニ ガルト・マクダーモット | ||||||
プロデュース | ボーンズ・ハウ[1] | ||||||
チャート最高順位 | |||||||
| |||||||
フィフス・ディメンション シングル 年表 | |||||||
| |||||||
|
エピソード
1968年、フィフス・ディメンションはニューヨークのアメリカーナ・ホテルで公演していた。ある日の午後、メンバーのビリー・ディヴィス・ジュニアは買い物に出かけた帰り、タクシーに財布を置き忘れたが、次にタクシーを利用した人物から連絡を受け、その人物に感謝の連絡をしたところ、ブロードウエイで公演中のミュージカル『ヘアー』の制作者の一人とわかり、その人物と妻をグループのショウに招待した。すると今度は制作者側が、フィフス・ディメンションを『ヘアー』の公演に招待、メンバーは劇中の曲「アクエリアス」に感銘を受け、是非録音したいと彼らのプロデューサー、ボーンズ・ハウに申し出た。ハウは難色を示したが、実際にミュージカルを鑑賞し、「レット・ザ・サンシャイン・イン」とのメドレーにするアイディアを得た。当時のシングル盤は3分前後であったため、できあがった7分を超すバージョンの長さが問題となり、編集のうえ5分以内にまとめリリースしたところ、彼らの代表作となった。録音にはハル・ブレインほかレッキング・クルーのメンバーが参加し、ボブ・アルシバーの編曲も巧みであった[3]。
カバー・バージョン
- レイ・スティーヴンス - 『Have a Little Talk with Myself』(1969年)に収録。
- ジェニファー・ウォーンズ『Let The Sunshine In (The Flesh Failures)" / "Easy to Be Hard』(1969年)に収録。
- エンゲルベルト・フンパーディンク - 『Engelbert Humperdinck』(1969年)に収録[4]。
- アンディ・ウィリアムス『Get together with 』(1969年)に収録。
- ザ・ベンチャーズ『Hawaii Five-O』(1969年)に収録。
- 弘田三枝子『弘田三枝子'70 ポピュラー・ビッグ・ヒッツ!』(1970年)に収録。
- 『ヘアー』日本公演キャスト - 1970年版(1999年CD化)や1980年版(TALIZMANによる演奏)のアルバムに収録。後者はシングルも発売された。
- マリーン - 『Be・Pop』(1985年)に収録。
- デーモン閣下 - 「小暮伝衛門」名義でリリースしたアルバム『好色萬声男』(1990年)に収録。
脚注
関連項目
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.