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バンド ウィキペディアから
「ガールズ・パンク・バンドの先駆者的な存在」と呼ばれ[1]、活動当時のみならず、後のガールズ・バンドに多大な影響を与えている[2]。
ソニック・ユースのボーカルであるサーストン・ムーアが訪日時に赤痢のファンであることを公言するなど、日本国外のアーティストにもファンが多く、カリスマ的な人気を博した[3]。岡村詩野は「関西パンク版ザ・ロネッツ」と評している[3]。
音楽的には、ハードコア・パンク、ポップチューン、民族音楽の要素も取り入れており、独自のオルタナティヴ・ロックを展開したとして、評価が高い[2]。
1989年春にベースのユウが脱退、夏に新ベーシストとしてモアイが加入。
1992年9月にモアイが脱退した後は、1994年3月にフジヤマ開店10周年を記念して行われたライブにはユウが一時的に復活するが、1995年の活動停止までトリオ編成で活動した。
1983年8月1日、京都にて、誰も楽器の演奏経験がない中学生同士で、ヴォーカルのミユを中心として結成される[3]。
1985年にデビューEP『赤痢』をリリースした際にはメンバーは高校生であった[2]。『赤痢』収録の「夢見るオマンコ」の歌詞は強烈なインパクトを与え、波紋を呼んだ[2]。当初はコンチネンタル・キッズが主宰するインディーズ・レーベル「BEAT CRAZY」からEPをリリースしていたが、JOJO広重が主宰する「アルケミーレコード」に移籍する[3]。メジャーデビューはせず、1995年まで関西を中心にインディーズシーンで断続的に活動した[2]。
2013年には結成30周年を記念して10枚組ボックスセット『赤痢匣』とベスト盤『赤痢初期音源集』が発売された[4]。
2017年には初CD化音源含むベスト盤『Secret File〜THE BEST OF SEKIRI〜』が発売された[1]。
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