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日本の皇族。清和天皇の三男。四品上野太守 ウィキペディアから
貞元親王(さだもと/ていげんしんのう)は、平安時代前期から中期にかけての皇族。清和天皇の第三皇子。号は閑院といわれている[1]。
現在の千葉県君津市には、貞元親王が故あって上総国に下向し、当地で没したとする伝承がある。伝承地は、江戸時代には周淮郡貞元村と呼ばれており、貞元(さだもと)という町名が今に伝わっている。
1678年(延宝6年)に貞元村に建立された貞元親王墓(ていげんしんのうはか)は、1970年9月21日に君津市指定文化財に指定された[3]。
また、貞元出身の歌人、平野峯郎が作詞した君津市立貞元小学校校歌(1963年制定)は、「清和の昔 貞元の みこがおわせし この郷に」から始まる歌詞となっている[4]。
信濃国から発祥した滋野氏(およびその末裔を称する海野氏・根津氏・望月氏など)の発祥については諸説あるが、その中に清和天皇と系譜を結びつけるものがある。
『群書系図部集』では、貞元親王を滋野氏の祖と記している。なお、滋野氏の祖については貞保親王(清和天皇第四皇子)に求めるものなど諸説ある。
長野県東御市本海野の白鳥神社は、主祭神を日本武尊とするが、貞元親王・善淵王・海野広道公を滋野氏・海野氏の祖先として祭る。
注記のないものは『日本三代実録』による。
『尊卑分脈』による。
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