豊田産業文化センター
大型の複合公共施設 ウィキペディアから
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管理運営は公益財団法人豊田市文化振興財団。プラネタリウムやサイエンスホールを有するとよた科学体験館(とよたかがくたいけんかん)、小ホール、多目的ホールが入っている。敷地内には文化的行事に利用できる喜楽亭(きらくてい)がある。その他、少年少女発明クラブ、青少年センター、男女共同参画センター(キラッとよた)、国際交流協会(TIA)、中日文化センターなどの機能が入居している。
かつての当地には加茂蚕糸の工場があり、1929年(昭和4年)に建設された高さ約36メートルの大煙突は挙母市街地の象徴的存在だった。1981年(昭和56年)に加茂蚕糸が廃業し、1985年(昭和60年)7月6日に豊田産業文化センターが開館した。地上5階地下1階建てで、総事業費は35億3400万円。当センターの開館に合わせ3階に西町の市民センター内にあった豊田商工会議所が移転したが、その後2006年、敷地内の一角に豊田商工会議所会館を竣工し商工会議所は独立した。施設名の「産業」という部分はこの地域の製糸業の中心的存在であった加茂蚕糸の工場跡地ということと、オープン当時に3階に商工会議所、法人会、鉄工会、飲食業組合、ライオンズクラブなどの経済諸団体の事務所が入っていたことと、2階に消費生活センター、地下に計量検査所などの産業に関連した機能が配置されたことに由来。また5階には、当時のカルチャースクールの先駆けとして中日文化センターが市内ではじめて開設した。
昭和60年の開館時に併設されたプラネタリウムは、ミノルタカメラ(現コニカミノルタプラネタリウム)が開発した世界初の一球式プラネタリウム・インフィニウムの2号機(同年のつくば科学万博が1号機)として設置され、常設の一般供用施設としては世界初の設置施設となったため、オープン当初は連日大盛況となり、国内外の自治体等から多くの視察を受けた。
とよた科学体験館は科学やものづくりに関する展示を行っており、プラネタリウムも有する[1]。
明治時代後期、長坂源一郎によって神明町に料理旅館の喜楽亭が創業した[3]。大正末期は現在の主体部が建てられ、1928年(昭和3年)には前部棟が増築された[3]。
1967年(昭和42年)の旅館廃業後には民家として使用されていたが、1982年(昭和57年)に所有者の長坂雪子から豊田市に寄贈され、1983年(昭和58年)には中央棟を含む主体部が豊田産業文化センターの敷地内に復元移築された[3]。なお、2000年代前半には豊田市駅前通り南地区第一種市街地再開発事業によって移転前の敷地が再開発され、喜楽亭の跡地はホテルトヨタキャッスルなどが入るコモ・スクエア・ウェストとなっている。
2013年(平成25年)12月24日には喜楽亭が登録有形文化財に登録された[2]。木造2階建、妻入、入母屋造桟瓦葺の建物である[2]。建物が現存する料理旅館としては豊田市最古の建築物である[3][注 1]。
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