豊田 圭史(とよだ けいし、1984年2月4日 - )は、日本の学生野球指導者。武相高等学校硬式野球部監督。
来歴・人物
現役時代
神奈川県出身。武相高校時代は外野手として活躍し、投手とは縁がなかった。富士大学進学後に本格的に投手を始める。卒業後、広域複合型企業チーム、フェズント岩手で3年間現役を続けた。
指導者として
現役引退後は母校である富士大学硬式野球部のコーチを2009年から務め、2013年12月から青木久典より同大学の監督を引き継いでから10季連続優勝に導き連盟記録を更新。監督として全日本大学野球選手権には5度、明治神宮大会には3度の出場。 大学では全体練習を短くし、個々の長所や自主性を養って成長を促す練習法を取り入れ、選手育成に定評があった。そのため、同大学は地方大学ながら多くの選手を抱えており、コーチ時代には中村恭平、山川穂高、監督になってからは外崎修汰、多和田真三郎、小野泰己、鈴木翔天、佐藤龍世、佐々木健 といった選手をプロ野球界に輩出している[1]。 入学から2年生の途中まで携わった金村尚真もドラフト指名された。 プロ野球だけでなく、社会人野球の企業チームにも多くの選手を送り出した。 代表的には久保皓史(三菱重工EAST)濱田祥伍(NTT西日本)小林遼(ENEOS)三浦智聡(西濃運輸)楠研次郎(東京ガス)下地滉太(JFE東日本)丹野涼介(三菱重工EAST)吉田開(日本製鉄かずさマジック)河内愛哉(JFE西日本)宇賀神陸玖(JFE東日本)宮下竜一(NTT東日本)佐藤大雅(鷺宮製作所)など60名近くの選手がいた。
コーチ・監督として12年目となる2020年7月末に富士大学を退職して[1]、8月より同じく母校である武相高校の監督に就任[2]。
武相高校の監督として、4年目となる年、2024年春季神奈川県大会にて、春夏秋を通じて40年ぶりとなる決勝に進出し、東海大相模を9-8で下し42年ぶりとなる優勝を決めた[3]。
2024年春季大会から低反発バットに変わったが、その中でも打力に力を入れ優勝に導いた。3回戦から決勝戦までの5試合で全て10安打以上放ち長打力も発揮した[4]。
脚注
関連項目
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