豊川村 (大阪府)

日本の大阪府三島郡にあった村 ウィキペディアから

豊川村(とよかわむら)は、大阪府三島郡にあった。現在の茨木市西部および箕面市東部、大阪モノレール彩都線豊川駅彩都西駅の周辺にあたる。

概要 とよかわむら 豊川村, 廃止日 ...
とよかわむら
豊川村
廃止日 1956年12月1日
廃止理由 編入合併
豊川村 → 箕面町
(即日市制施行して箕面市に)
現在の自治体 箕面市、茨木市
廃止時点のデータ
日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府
三島郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 21.51 km2.
総人口 6,238
国勢調査1940年
隣接自治体 茨木市、吹田市豊能郡箕面町、東能勢村
豊川村役場
所在地 大阪府三島郡豊川村大字清水
座標 北緯34度50分23秒 東経135度30分53秒
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地理

歴史

西国街道が横断し、郡山宿が設置されていた。郡山宿は南に隣接する郡山村と同名であるが道祖本(さいのもと)村の一部であり、古くから宿河原とも呼ばれ、1980年には宿川原町の現行町名に改称されている。

  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、島下郡小野原村・粟生(あお)村・宿久庄(しゅくのしょう)村・清水村・道祖本村が合併して島下郡豊川村が発足。大字小野原に村役場を設置。
  • 1896年(明治29年)4月1日 - 所属郡が三島郡に変更。
  • 1949年昭和24年) - 大字清水に村役場を移転。
  • 1956年(昭和31年)12月1日 - 豊能郡箕面町に編入。同日豊川村廃止。箕面町は同日市制施行して箕面市となり、大字粟生を粟生外院・粟生新家・粟生間谷・粟生岩阪に改編。
  • 1956年(昭和31年)12月25日 - 箕面市のうち旧村域の一部(大字粟生岩阪・宿久庄・清水・道祖本および粟生間谷・小野原の各一部)が茨木市に編入。

経済

産業

農業

『大日本篤農家名鑑』によれば豊川村の篤農家は、「細川米三郎、久保鷹三、生田捨三郎、笹川駒太郎、笹川六郎、荻田倉次郎、岸田佐右衛門、田中義明」などがいた[1]

交通

鉄道

現在は旧村域に大阪モノレール彩都線豊川駅彩都西駅が所在するが、当時は未開業。

道路

出身・ゆかりのある人物

脚注

参考文献

関連項目

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