西阿知和城
ウィキペディアから
ウィキペディアから
矢作川の支流である青木川と真福寺川の合流点に突き出した標高40メートル(周囲の低地との比高差10メートル)の低台地上に位置し、真言宗寺院の古城山大照院とその周辺が城跡と考えられている[1]。方形居館と考えられているが、単郭ではなく複数の郭(曲輪)を持っていた可能性があるという[2]。
矢作川流域では、村落規模の国人らの城館跡が「古屋敷」などの地名として残っていることがあるが[2]、西阿知和城伝承地にも「城下」や「元屋敷」「居屋敷」などの小字が残る[1]。
築城~存続年代等は不明だが、15世紀の松平氏宗家の3代目松平信光の弟・松平信季が在城して阿知和氏を名乗り、代々居住したと伝わる[3]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.