西橋昇
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来歴
1975年3月3日の中京第5競走5歳以上200万下・エルバート(11頭中3着)で初騎乗[1]を果たし、5月20日の阪神第4競走4歳200万下・ゴシロオーダーで初勝利[2]を挙げる。7月8日の札幌では初の1日2勝[2]を挙げるなど、1年目の同年は9勝[3]をマーク。
2年目の1974年には初の2桁勝利となる12勝[3]、3年目の1975年には8月1日・2日・3日の札幌で3日連続勝利[4]を挙げるなど自己最多の26勝[3]をマーク。
1980年には5年ぶりの2桁勝利となる11勝[3]をマークし、1981年にはスカイリーダの初年度産駒[5]ダイタクプロスパアで活躍[6]。東京優駿では10着ながら関西馬最先着[7]を果たし、神戸新聞杯ではアグネステスコの4着、京都新聞杯ではサンエイソロンの4着、菊花賞ではミナガワマンナの5着であった[6]。
1982年には2年ぶりの2桁となる10勝[3]をマークし、1985年には12月15日の中京で1日3勝[8]を挙げ、1986年まで5年連続2桁勝利[3]を記録。
1986年の中日新聞杯ではハクリョウベルで4着までクビ差の接戦を制して[9]人馬共に唯一の重賞勝利[10] [11]を挙げ、天皇賞(春)では16頭中15番人気ながらスダホーク・サクラユタカオー・メジロモンスニーを抑えてクシロキングの4着[12]と健闘。
1991年9月7日の中京第3競走4歳未勝利・レッドレターデイが最後の勝利となり、11月24日の京都第11競走トパーズステークス・ダイタクウイナー(11頭中10着)を最後に引退[13]。
騎手成績
- 主な騎乗馬
- ハクリョウベル(1986年中日新聞杯)
脚注
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