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西明寺城

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西明寺城
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西明寺城(さいみょうじじょう)は、栃木県芳賀郡益子町にあった中世の日本の城宇都宮氏の家臣益子氏の居城だった。別名高館城

概要 logo西明寺城 (栃木県), 別名 ...

歴史・沿革

西明寺城の起源は、西明寺のある高館山に京都から移住してきた紀氏(後の益子氏)が本拠を構えた事から始まった[要出典][3]

南北朝時代には、『結城文書』に「伊佐中郡御城、西明寺城、当城候」と記されており、関城大宝城伊佐城伊佐中郡御城などと並んで、関東六城の一つに数えられ[2][4]南朝方の最北端の拠点であった[1]。その後、北朝方の攻撃を何度か耐えたが、1352年正平7年)に関東六城の中で最後に落城した[2]

戦国時代に入ると、益子氏は一族内で内紛が続発し、衰退への道を歩むことになる。また、主家の宇都宮氏から離反と帰順を繰り返すようになった[要出典]

1590年天正18年)[1][5]、業を煮やした主君宇都宮国綱は大規模な討伐を実行し、益子家宗を誅殺して益子氏の領地を没収した。この際に廃城となる[1]

構造

西明寺城跡は現在、西明寺の寺域となっている。本堂脇の遊歩道を登っていくと本丸跡に展望台が設置されている。また、空堀なども散見される。

脚注

関連項目

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