西園寺公潔
日本の江戸時代の皇族 ウィキペディアから
経歴
もともとは皇族であったが、西園寺寛季の子の治季が早世したために、臣籍降下して寛季の養子となり、西園寺公潔として西園寺家を相続した。天保3年(1832年)に叙爵し、侍従・左近衛権少将・右近衛権中将をへて、天保7年(1836年)には従三位となり公卿に列したが、同年に19歳にして薨去した。西園寺家は治季の子の師季が相続した。
系譜
関連項目
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