藤田忠夫
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山口県宇部市出身。山口県立宇部高等学校、東京大学工学部[1]を経て、建設省(当時)に入省。沖縄開発庁振興局専門官、日本道路公団計画部課長、会計検査院技術参事官、建設省関東地方建設局道路部長、同道路局国道1課長、同近畿地方建設局長などを歴任する[3]。
1993年(平成5年)5月に建設省を退官し、翌月の宇部市長選挙に出馬。この市長選挙は、前任の中村勝人が小野湖周辺のゴルフ場建設計画を巡って市長職をリコールされた[4]ことに伴い実施されたもので、ゴルフ場開発以外の方法での小野地域振興を掲げた藤田は保守系から日本共産党まで幅広い層の支持を受け、無投票で当選した。
2期目以降の選挙は日本共産党候補との一騎討ちが続いたが連続当選を果たす。2008年(平成20年)12月8日、宇部市議会定例会にて次期市長選挙に出馬しない意向を表明し[5]、4期目の任期満了となる2009年(平成21年)7月17日をもって引退した[6]。引退の理由については、年齢の問題や「アクトビレッジおのの完成で、就任時から取り組んできた北部振興策に一応のめどがついた」こと等を挙げた[7]。
市長引退後、同年11月に山口県選奨自治功労賞を受賞[8][9]。2010年(平成22年)5月には旭日中綬章の叙勲を受けた[1][3][10]。