藤原陳政

平安時代中期の貴族。藤原北家山蔭流。正四位下・内蔵頭。 ウィキペディアから

藤原 陳政(ふじわら の のぶまさ)は、平安時代中期の貴族藤原北家山蔭流参議藤原安親の子。官位正四位下播磨介

概要 凡例藤原陳政, 時代 ...
 
藤原陳政
時代 平安時代中期
生誕 未詳
死没 寛弘4年(1007年)?
官位 正四位下播磨介
主君 花山天皇一条天皇
氏族 藤原北家山蔭流
父母 父:藤原安親、母:未詳
兄弟 為盛守仁時清茂秀兼清清通陳政季随成忠、正雅、源時中室、藤原相如室、藤原登朝
未詳
親業惟佐藤原実成
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経歴

一条朝初頭の永延2年(988年)五位・伊賀守の官位にあった。永祚元年(989年)頃に春宮権大進に任ぜられると、のち春宮亮に昇格するなど、春宮・居貞親王に仕えるとともに、正暦3年(992年備中守長徳2年(996年)頃に内蔵頭を兼帯している。

のち、播磨介を務め、寛弘2年(1005年)に重任されている。またこの間の長保6年(1004年)正月の叙位において、陳政は内裏造宮の功により昇叙されることになっていたが、弟の季随にこれを譲った[1]

寛弘4年(1007年)正月に病気により播磨介を辞退する申文を提出するが[2]、これ以降諸記録に表れないことからまもなく没したか。

官歴

系譜

尊卑分脈』による。

  • 父:藤原安親
  • 母:不詳
  • 生母不詳の子女
  • 養子女
    • 男子:藤原親業 - 実は藤原季随の子

脚注

参考文献

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