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日本の平安時代の公家、藤原顕光の子 ウィキペディアから
藤原 重家(ふじわら の しげいえ)は、平安時代中期の貴族。藤原北家兼通流、左大臣・藤原顕光の長男。官位は従四位下・左近衛少将。容姿に優れ光少将と謳われた。
一条朝の正暦6年(995年)左近衛少将に任ぜられると、長徳5年(999年)五位蔵人に補され、翌長保2年(1000年)には従四位下に至っている。
「光少将」と呼ばれ、当時美男の評判が高かった。
長保3年(1001年)いわゆる「寛弘の四納言」(藤原公任、藤原斉信、藤原行成、源俊賢の4名)が陣座で朝政の議論をしている様子を目にして自らの非才を覚り、親友の源成信と共に園城寺にて出家して遁世した[1]。この報に接し、後継者を失うことになった父の顕光は悲嘆に暮れたと伝わる。
同じく近衛少将を務めて出家した寂源の弟子となった。没年含め、以後の消息は定かではない。
『近衛府補任』による。
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