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平安時代中期の貴族 ウィキペディアから
藤原 相尹(ふじわら の すけまさ、生没年不詳)は、平安時代中期の貴族。名は助正とも記される。藤原北家九条流、大蔵卿・藤原遠量の子。官位は正四位下・左馬頭。
一条朝の初頭に右近衛少将に任ぜられると、永延3年(989年)左近衛少将を経て、正暦3年(992年)左馬頭に遷る。中関白家に近く、正暦4年(993年)五節に際して、中宮・藤原定子方の舞姫に娘(のちの馬中将)を差し出している[1][2]。
長徳2年(996年)長徳の変が発生して中関白家の藤原伊周・隆家兄弟が失脚すると、相尹も連座して勅勘を被った[3]。
まもなく許され、約20年の長きに亘って左馬頭を務めた。この間の寛弘元年(1004年)の賀茂臨時祭では祭使を務めている[4]。
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