藤原朝元
平安時代中期の貴族。藤原北家小一条流。従四位下・陸奥守 ウィキペディアから
平安時代中期の貴族。藤原北家小一条流。従四位下・陸奥守 ウィキペディアから
藤原 朝元(ふじわら の あさもと)は、平安時代中期の貴族。名は朝光とも表記される。藤原北家小一条流、左近衛中将・藤原実方の子。官位は従四位下・陸奥守。
寛弘8年(1011年)新帝三条天皇の六位蔵人に補される。当時の官位は正六位上・右兵衛尉。
従五位下に叙爵の後、長和4年(1015年)和泉守に任ぜられる。朝元は蔵人を辞したのち、わずか3年ほどで受領になっていることから、この任官は三条天皇の意向によるものと想定される[1]。在任中の寛仁元年(1017年)藤原教通が長谷寺に参詣した際、通過した国々では接待を受けたが和泉国のみ接待を受けなかった。そのため、教通の従者が守の朝元を責め立てると、朝元は山寺で籠もってしまったという[2]。
長元元年(1028年)9月の摂津守の除目で申文を提出するが任官は叶わず[3]、翌長元2年(1029年)正月に陸奥守に任ぜられている。位階は従四位下[4]まで昇り、長元4年(1031年)10月卒去。
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