藤原恒佐
平安時代前期から中期の公卿。藤原良世の七男。正三位・右大臣、右近衛大将、贈正二位 ウィキペディアから
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平安時代前期から中期の公卿。藤原良世の七男。正三位・右大臣、右近衛大将、贈正二位 ウィキペディアから
藤原 恒佐(ふじわら の つねすけ)は、平安時代前期から中期にかけての公卿。藤原北家、左大臣・藤原良世の七男。官位は正三位・右大臣、贈正二位。一條右大臣または土御門右大臣と号す。
左近衛将監・六位蔵人を経て、宇多朝末の寛平8年(896年)父の左大臣・藤原良世が致仕してまもなく従五位下に叙爵する。
醍醐朝に入り、右馬助・右兵衛佐・左近衛少将と武官を歴任する一方、延喜10年(910年)五位蔵人、延喜11年(911年)春宮亮と醍醐天皇と皇太子・保明親王に身近に仕える。のち、延喜12年(912年)従四位下・蔵人頭、延喜13年(913年)右近権中将、延喜14年(914年)左近衛中将と、武官を務めながら順調に昇進し、延喜15年(915年)参議に任じられ公卿に列す。これは、文章生から文官を歴任した6歳年上の兄・邦基より6年早い公卿昇格であった。
その後も、議政官として左近衛中将・衛門督と武官を務める一方、延喜17年(917年)従四位上、延喜23年(923年)従三位・権中納言、延長5年(927年)中納言、承平2年(932年)正三位、承平3年(933年)大納言と醍醐朝後半から朱雀朝にかけても順調に昇進する。承平6年(936年)には上席の大納言・藤原保忠の薨去により、太政官において藤原北家嫡流の忠平・仲平兄弟に次ぐ席次を占め、同年右近衛大将を兼ね、翌承平7年(937年)には右大臣に至った。承平8年(938年)5月5日薨去。享年60。最終官位は右大臣正三位兼行右近衛大将。没後まもなく正二位の贈位を受けた。
注記のないものは『公卿補任』による。
注記のないものは『尊卑分脈』による。
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