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藤原 家通(ふじわら の いえみち)は、平安時代後期の貴族。名は家道とも記される。藤原北家道綱流、丹波守・藤原顕綱の子。官位は正四位下・宮内卿。
承暦2年(1078年)の内裏歌合の右方に越前守として出席して勝利、翌承暦3年(1079年)に昇殿が許され、程なく侍従となる。左近衛少将・左京権大夫・加賀守などを歴任後、正四位下・宮内卿に至る。また、禎子内親王及びその孫(養女)・篤子内親王家の別当を務めた(禎子内親王の乳母弁乳母は家通の父方の祖母)。一時長真と名乗るが勅命によって旧名に戻されたという。
永久4年(1116年)1月25日卒去。享年61。没後、その宅地は白河法皇によって買い取られ、後に保元の乱の激戦地となる三条東殿が造営される。
『尊卑分脈』による。
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