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平安時代後期の公卿 ウィキペディアから
仁平元年(1151年)叙爵され、仁平3年(1153年)に越前守に任じられて以来、各国守や左兵衛権佐を歴任する。また応保元年(1161年)からは八条院別当を務めた。安元3年(1177年)内蔵頭を経て同治承元年には従三位に上り公卿に列する[2]。治承5年(1181年)大宰大弐となり[5]、寿永2年(1182年)正三位となったものの、同年の源義仲による院近臣らの大量解官の際に実清もその対象となった[6]。寿永3年(1184年)元の職に復帰したものの、病を得て辞官出家し、翌元暦2年(1185年)死去した[1]。妻の愷子(丹波局)は実清と同じく八条院に仕えた後、後鳥羽天皇の乳母を務めている[4]。
※出典の明示がないものはいずれも『公卿補任』治承元年条による[2]。
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