藤原伊行
平安時代後期の貴族・能書家。藤原北家世尊寺家。従五位上・宮内少輔。世尊寺家6代。 子に藤原行家、尊円、大夫局。 ウィキペディアから
平安時代後期の貴族・能書家。藤原北家世尊寺家。従五位上・宮内少輔。世尊寺家6代。 子に藤原行家、尊円、大夫局。 ウィキペディアから
藤原 伊行(ふじわら の これゆき)は、平安時代後期の貴族・能書家。藤原北家世尊寺家、宮内権大輔・藤原定信の子。官位は従五位上・宮内少輔。世尊寺家6代。
仁平3年(1153年)知足院堂供養の願文を清書しており、平治元年(1159年)と仁安元年(1166年)には大嘗会の悠紀主基(ゆきすき)屏風の色紙形の筆者に選ばれている。現存する日本最古の書論書『夜鶴庭訓抄』を残した。また最も古い『源氏物語』の注釈書である『源氏釈』を著した。
また、歴代大臣の上表文の清書にも携わっており、藤原頼長の内覧辞任の上表の際に1字分脱字を冒して傍らに補ったことを頼長から責められた伊行は「1・2文字の脱字は書き入れ、3字以上はそのままにするのが『父祖所伝之故実』である」と主張して頼長を黙らせたという[1]。また、世尊寺家の記録では安元元年(1175年)に没したとされているが、藤原基房の上表の際に仁安3年(1168年)の2度目の上表文は伊行が清書しておきながら、翌嘉応元年(1169年)の3度目のものは子・伊経が行っているため、この間に死去したとする説もある[2]。
書跡に「戊辰切」「葦手下絵和漢朗詠集」がある。また、箏にも巧みであったという。
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