Loading AI tools
ウィキペディアから
英国IBM(英語: IBM United Kingdom Ltd)は、イギリスにあるIBM社の子会社で、本社はハンプシャー州のポーツマスにある。数ある国のIBM子会社の中で、国内で営業、保守をしているだけでなく、ドイツIBMと日本IBMと共に、研究・開発・製造の総合力でその国、その地域、および全世界へ好影響を与えてきた。
ハーマン・ホレリスのパンチカードシステムは、イギリスでも20世紀初頭から広く使われきて、アメリカ合衆国国勢調査局長官を務めたロバート・ポーターが帰国して1909年にBTM社(後にパワーズ社Powersも合併してICTとなり、さらにICLとなり、最終的に富士通が買収)を設立し[1]、初めC-T-R社(IBM社の前身)からのライセンスの機種であったが、後に独自設計の機種がイギリスおよび英連邦では優勢であった。
こうした状態もあり、英国IBM(IBM United Kingdom)が設立されたのは第二次世界大戦も終わって、しばらく経った1962年であった[2]。本社はイギリス最南部のハンプシャー州のポーツマス にある[3]。
IBMメインフレーム・コンピューター全盛の時代に英国には二つの大きな工場があり、国内出荷だけでなく、輸出も広く行われたが、その後閉鎖された。
IBMハヴァント工場(ハンプシャー州Havantの海岸寄り)は1967年に開設されて、おもにメインフレーム(System/370、4300など)、ハードディスクドライブ、8100、AS/400などを生産した。メインフレームの需要が減少するに従って、1994年に閉鎖された[4]。同工場の海岸寄りのグランドを使っていたIBM南ハンプシャー・クリケット・クラブはその後も場所を他へ移して、IBM社員以外も参加するクラブとして健在である[5]。
IBMグリノック工場(スコットランド・グリーノック近郊のSpango Valley)は1954年に開設されて[6]、初めは電動タイプライターとパンチカードシステム、次にメインフレーム・コンピューターの周辺機器(プリンターなど)、IBM PC、さらにノートパソコンを生産しして、一時はスコットランドではウィスキーの輸出額を上回るような貢献をした[7]。人里離れた所だったので、1978年にはイギリス国鉄のインヴァークライド線(Inverclyde Line)にIBM鉄道駅も置かれたほどであった。工場機能は2006年に海外へ移されて、グリーノック市内ではコールセンターなどが置かれたが、工場そのものは廃止された。
本社以外に、営業所と保守拠点がロンドン[8]やエディンバラを始め、ケンブリッジ[9]、ブリストル[10]、ベルファスト[11]などに置かれている。
IBM Client Centre[12]はロンドンにあり、最新のIBMによる技術(データ解析、クラウドコンピューティング 、ブロックチェーン、ワトソン、AIなど)を客先へデモしている。
ファイナンス子会社(IBM United Kingdom Financial Services Ltd)は英国内だけでなく、国際的なサービスを提供している[13]。
研究開発はIBMの全世界的な活動の中で、1958年に開設されたIBMハーズレイ(本社からそれほど遠くないハンプシャー州の歴史的ウィンチェスター近くのHursley村)で行われていて、IBM 3279カラー表示装置、ソフトウェアのGDDM、Application System(AS)、CICS Transaction Server、MQなどを開発してきた[14]。
IBM Executive Briefing Centreがここにあり、IBM Hursley Museumもある[15]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.