脇坂次郎
日本の陸軍軍人 ウィキペディアから
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脇坂 次郎(わきさか じろう、1886年(明治19年)3月17日[1][2] - 1964年(昭和39年)1月2日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
兵庫県出身[1][2][3]。1907年(明治40年)5月、陸軍士官学校(19期)を卒業[1][4]。同年12月、陸軍歩兵少尉に任官し歩兵第8連隊付となる[1][4]。
1912年(明治45年)3月、臨時朝鮮派遣歩兵第1連隊付となり、歩兵第8連隊大隊副官、同連隊付、同連隊中隊長、第4師団司令部付、同師団副官、台湾軍副官を務め、1924年(大正13年)8月、歩兵少佐に昇進し台湾軍幕僚付となる[1]。歩兵第42連隊大隊長、第5師団副官を経て、1930年(昭和5年)3月、歩兵中佐に進み歩兵第11連隊付となる[1]。陸軍大学校副官、独立守備歩兵第5大隊長を経て、1935年(昭和10年)3月、歩兵大佐に昇進し近衛師団司令部付(東洋大学配属将校)となる[1][3]。
1936年(昭和11年)3月、麻布連隊区司令官に就任し、1937年(昭和12年)8月、歩兵第36連隊長に発令され日中戦争に出征[1][2][3]。南京戦、徐州会戦などに参戦した[2]。1938年(昭和13年)7月、陸軍少将に進級し留守第3師団司令部付となり帰国[1][2][3]。1939年(昭和14年)3月に待命となり、同月、予備役に編入された[1][2][3]。1942年(昭和17年)3月に召集され名古屋陸軍造兵廠付に就任し、1943年(昭和18年)6月に召集解除となった[1]。
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