ウァレンティヌス
ウィキペディアから
ウィキペディアから
ウァレンティヌス(羅: Valentinus, ? - 269年頃)、あるいはヴァレンタイン(英: Valentine)は、3世紀頃のキリスト教の聖職者。正教会・カトリック教会・聖公会・一部ルーテル教会で聖人とされている。
記念日は2月14日[注釈 1]。
西ヨーロッパ、西方教会においてはこの聖人への崇敬が基になってバレンタインデーの習慣が定着したが、東方教会には恋人とウァレンティヌスを結びつける習慣は生まれなかった。記念日・記憶日なども教派により異なっている。
カトリック教会においては、「聖バレンチノ(ヴァレンタイン)司祭殉教者」と表記される。バレンチノはイタリア・ローマの司祭である。当時はローマ皇帝クラウディウス2世のキリスト教迫害下であったが、人々を助け導き、熱心に宣教活動を行っていた。キリスト教の信仰を捨てなかったために絞首刑に処せられたとされる。バレンチノに関する伝説は複数あり、ローマ殉教録によると、この日に同名の司教が殉教している。複数の伝説や奇跡などが重なり、細部が異なって伝えられているとされる[1]。
カトリック百科事典によれば次の3人の像が重なっていると見られている。
3については分かっていないが、1と2の2人はいずれも3世紀後半に殉教したと見られている。一説によれば、269年2月14日キリスト教の信仰を捨てなかったために絞首刑に処せられたという。彼についてのエピソードには、次のようなものが伝えられている。
ウァレンティヌスは、恋人たちの守護聖人として崇敬されてきた。また彼の殉教の日、2月14日は彼の名をとって、バレンタインデーとされている。ウァレンティヌスの日が祝われたのは496年からとも言われているが、これらのエピソードが語られ始めたのは中世のことである。起源はよく分かっていないが、14世紀から15世紀のフランス語、英語で書かれた詩や文学に聖ヴァレンタインの日と恋人たちが関係付けられて登場する。
聖ウァレンティヌスの遺骸を納めていると主張している教会は、少なくとも7つある。
正教会では、3世紀に致命(殉教)した2名の聖職者であった聖ワレンティン[6](ウァレンティヌス)が記憶されているが、記憶日は2月14日ではなく、7月ないし8月である。
また、3世紀に致命した聖ワレンティンはもう1名いるが、彼は聖職者ではなく、現代のブルガリアにおける兵士であった。記憶日は4月24日(ユリウス暦を使う正教会では5月7日に相当)[9]。
いずれの聖ワレンティンについても、西欧に起源を持つ、恋人と関連付ける習慣は、正教会では特に行われない。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.