耀州(ようしゅう)は、中国にかつて存在した州。唐末から民国初年にかけて、現在の陝西省銅川市および咸陽市東部に設置された。
906年(天祐3年)、李茂貞により華原県に耀州が置かれた[1]。温韜が耀州刺史とされた。朱全忠が李茂貞を鳳翔で包囲すると、温韜は耀州ごと後梁に降った。ほどなく温韜は再び李茂貞につき、李茂貞は温韜を義勝軍節度使とした[2]。915年(貞明元年)、後梁により耀州は崇州静勝軍と改められた[3]。
923年(同光元年)、後唐により崇州は耀州の称にもどされた[4]。
970年(開宝3年)、北宋により耀州に感徳軍節度が置かれた。耀州は永興軍路に属し、華原・同官・富平・美原・三原・雲陽の6県を管轄した[5]。
金のとき、耀州は京兆府路に属し、華原・同官・美原・三原の4県と黄堡・竜橋の2鎮を管轄した[6]。
元のとき、耀州は奉元路に属し、同官・富平・三原の3県を管轄した[7]。
1725年(雍正3年)、清により耀州は直隷州に昇格した。1735年(雍正13年)、耀州は西安府に転属した。耀州は属県を持たない散州とされた[9]。
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