美濃国諸旧記』(みののくにしょきゅうき、『美濃國諸舊記』)は、現在の岐阜県南部にあたる美濃国における国司守護名家豪族の由来、戦争城郭名、寺社など、同国の歴史地理を扱った史書軍記である。

概要

作者は不詳、編纂時期も不明だが、卷之四加納城の條に寛永16年(1639年)の記事があるため、寛永末期または正保の成立とみられる[1]

平安時代土岐氏や、明智氏を含む土岐庶流、美濃斎藤氏の多くの事跡が詳細に記述されており、多くの逸話の出典となっている。なお、斎藤道三の国盗りについては一代説で記述されている。ただし、前述の通り著者が不明の軍記物であり、一次史料と一致しない記載が多く見つかっている。

1915年に、黒川真道が編纂した『国史叢書』の一冊として翻刻・刊行されている[2]。『国史叢書』の翻刻には誤りがある可能性も指摘されているが(織田信秀の法名を「排岩」としているが、これは実際の法号「桃巌」の崩し字の読み違いと推測される[3])、原本の所在は2014年現在不明となっており[4]、原本で確認することができない[5]

備考

  • 『美濃国諸旧記』が初出とされる情報として、織田信長の妻である斎藤道三の娘(一般に「濃姫」の名で知られる人物)の名「帰蝶」がある[2]。織田信長の妻の名の出典を検討した松浦由起は、「帰蝶」は「胡蝶」の崩し字の読み誤りではないかと指摘している[6]

脚注

参考文献

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