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練習曲作品10第3番(れんしゅうきょくさくひんじゅうだいさんばん)ホ長調は、フレデリック・ショパンが1832年に作曲したピアノのための練習曲。
Étude op.10 nº3 (練習曲作品10 第3番) | |
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フレデリック・ショパン | |
形式 | 練習曲 |
調、拍子 | ホ長調、2/4 |
テンポ | レント・マ・ノン・トロッポ 速度指定なし |
作曲年 | 1832年 |
作品番号 | 10-3 |
プロジェクト:クラシック音楽 Portal:クラシック音楽 |
日本においては、「別れの曲」の名で広く知られる。西欧においては「Tristesse」(悲しみ)の愛称で知られるが、ときにフランス語圏で「L'intimité」(親密、内密)、英語圏で「Farewell」「L'Adieu」(別れ、別離)と呼ばれることもある。
テンポ指定はニューヨークのレーマン・コレクションの自筆譜ではVivace(活発に)、ワルシャワのショパン博物館の自筆譜ではVivace ma non troppo(活発に、しかし過度にならずに)であったが、出版の際にショパンがLento ma no troppo(ゆっくりと、しかし過度にならずに)に変更したと考えられている[1]。
甘い旋律ばかりが注目されるが、中間部にショパンならではの劇的な要素がある。
なお、2つ目の自筆譜の末尾には、間を置かず次の第4番の演奏に入る(アタッカ)よう指示がある。
評論家からは「ピアノのための詩」として高く評価されている。[誰によって?]
ショパンの弟子の一人であったアドルフ・グートマンにこの曲をレッスンした際に、ショパンは「ああ、私の故国よ!」と泣き叫んだという[2]。また、ショパンは「一生のうち二度とこんなに美しい旋律を見つけることはできないだろう」と語ったとも伝えられている[1]。
日本では『別れの曲』の愛称で広く知られるが、これは、1934年のドイツ映画Abschiedswalzer(邦題『別れの曲』)で使用されたことから広まった愛称である。
利用された映画の題名が通称として定着したのはクラシック音楽全般でも稀な例である。
右手が内声部を弾きながら、旋律の音量を維持しなければならない。技巧よりもむしろ、旋律的なフレージングの表現力とレガートの雰囲気を引き出す事が重要である。この点においてそれまでの練習曲で必要とされた素早い技術のための練習曲と大きく異なるとされる。[独自研究?]
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