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日本にあった行政機関 (1949-2001) ウィキペディアから
総理府(そうりふ)とは、内閣総理大臣自らが分担管理する事務、及び各行政機関の総合調整にかかる事務を所掌した日本の行政機関である。
明治憲法下における内閣所属部局を基礎として過渡期における総理庁を経て、1949年(昭和24年)に新設され、2001年(平成13年)に中央省庁再編により内閣府に統合された。
総理府本府(外局を除いたものをいう。)は、総理府の各種機能のうち、総理直轄機能と総合調整機能を有し、内閣総理大臣直属の機関として、事務の性格上総理自らが直轄すべき国の基本に係る事務、その時々の政治判断等により総理自らが直轄すべきと判断した事務を所掌するなど総理直轄機能の中心的役割を担うとともに、内閣官房と一体となって総合調整機能を発揮する点に、他の省等と比べ特徴を有していた。
総理直轄機能としては、
等がある。
総合調整機能としては、例として男女共同参画社会の形成の促進、公益法人行政の推進等がある。
中央省庁再編が行われるまで、総理府本府は沖縄開発庁・総務庁と一体的な人事を行なってきた。いずれも総理府の内部部局から派生した外局であることに由来している。
総理府の生え抜き官僚は、坂東眞理子のように「総理府入府」と記す例と、「総理府採用」と記す例があった。
全国職域学生かるた大会では1963年から1971年の大会初期にかけて統計局のチームが活躍していた。
総理府の前身たる総理庁は、それまで内閣に直属していた統計局や恩給局を所管するために設けられた。これは日本国憲法が個別の行政事務について、内閣の統轄の下に主任の大臣が分担管理することを前提としている(72・74条)と考えられるためである。つまり内閣総理大臣を主任の大臣とする行政機関が、各省と並列して設置されたことになる。
内閣総理大臣を補佐する機関としては、閣僚を含む内閣自体の補助機関たる内閣官房がある。総理府本府とは法令上も性質上も異なる組織であったが、ともに内閣総理大臣を主任の大臣とし、その管轄下であったことから、両機関は密接な関係にあった。実際、ほぼ同一の所掌事項に関する課・室を両機関に設置し、当該官を併任(例:内閣官房内閣内政審議室長が、内閣総理大臣官房内政審議室長を兼務)することで、内閣総理大臣の補佐と各省庁間の総合調整を一体的に処理できた。
中央省庁再編時、内閣総理大臣のリーダーシップ強化も兼ねて、内閣官房と総理府の統合が模索された。これについて総理府側は、「内閣の組織である内閣の補助部局と、行政事務を分担管理する『府及び省』の一つである総理直属の機関は、本来別のもの」「両者を一体化した『内閣府』を設ける場合は、これを内閣の補助部局としてとらえると、総理府で行われている個別行政事務のようなものまで内閣の所掌とすることとなり、憲法の予想するところではないのではないか」と疑義を呈した。しかし結局、内閣官房との本格統合はならず、総理府は国家行政組織法の枠外で内閣補助事務を所管する内閣府に移行した。
総理府は、「内閣の下に行政事務をつかさどる機関」として各省と並置されている行政機関であるため、内閣そのものの補助部局とされる内閣官房とは組織上の位置づけが明確に異なる[2]。総理府の職員が内閣官房の事務を兼務処理していたことなどから、内閣総理大臣官房が内閣官房の事務を行っていた体制を改め、内閣官房を独立させ[3]、更に次官級の職を総理府に設けることが行財政改革として掲げられていた。そのため総理府の事務をマネジメントする職として総務長官が置かれた。1963年6月11日から総務長官は認証官となり、1965年5月19日には国務大臣となった。
代 | 氏名 | 内閣 | 在任期間 | 兼務等 | |
総理府総務長官 | |||||
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1 | 今松治郎 | 第1次岸内閣 | 改造 | 1957年8月1日 - 1958年6月12日 | |
2 | 松野頼三 | 第2次岸内閣 | 1958年6月12日 - 1959年6月18日 | ||
3 | 福田篤泰 | 改造 | 1959年6月18日 - 1960年7月19日 | ||
4 | 藤枝泉介 | 第1次池田内閣 | 1960年7月19日 - 1960年12月8日 | ||
5 | 第2次池田内閣 | 1960年12月8日 - 1961年7月18日 | |||
6 | 小平久雄 | 第1次改造 | 1961年7月18日 - 1962年7月18日 | ||
7 | 徳安実蔵 | 第2次改造 | 1962年7月18日 - 1963年6月11日 | ||
総理府総務長官(認証官) | |||||
7 | 徳安実蔵 | 第2次池田内閣 | 第2次改造 | 1963年6月11日 - 1963年7月18日 | |
8 | 野田武夫 | 第3次改造 | 1963年7月18日 - 1963年12月9日 | ||
9 | 第3次池田内閣 | 1963年12月9日 - 1964年7月18日 | |||
10 | 臼井荘一 | 改造 | 1964年7月18日 - 1964年11月9日 | ||
11 | 第1次佐藤内閣 | 1964年11月9日 - 1965年5月18日 | |||
総理府総務長官(国務大臣) | |||||
11 | 臼井莊一 | 第1次佐藤内閣 | 1965年5月19日 - 1965年6月3日 | ||
12 | 安井謙 | 第1改造 | 1965年6月3日 - 1966年8月1日 | ||
13 | 森清 | 第2改造 | 1966年8月1日 - 1966年12月3日 | ||
14 | 塚原俊郎 | 第3改造 | 1966年12月3日 - 1967年2月17日 | ||
15 | 第2次佐藤内閣 | 1967年2月17日 - 1967年11月25日 | |||
16 | 田中龍夫 | 第1改造 | 1967年11月25日 - 1968年11月30日 | ||
17 | 床次徳二 | 第2改造 | 1968年11月30日 - 1970年1月14日 | ||
18 | 山中貞則 | 第3次佐藤内閣 | 1970年1月14日 - 1972年7月7日 | 環境庁長官(1971年7月1日から同月5日まで) 沖縄開発庁長官(1972年5月15日以降) | |
改造 | |||||
19 | 本名武 | 第1次田中角榮内閣 | 1972年7月7日 - 1972年12月22日 | 沖縄開発庁長官 | |
20 | 坪川信三 | 第2次田中角榮内閣 | 1972年12月22日 - 1973年11月25日 | 沖縄開発庁長官 | |
21 | 小坂徳三郎 | 第1次改造 | 1973年11月25日 - 1974年12月9日 | 沖縄開発庁長官 | |
第2次改造 | |||||
22 | 植木光教 | 三木内閣 | 1974年12月9日 - 1976年9月15日 | 沖縄開発庁長官 | |
23 | 西村尚治 | 改造 | 1976年9月15日 - 1976年12月24日 | 沖縄開発庁長官 | |
24 | 藤田正明 | 福田赳夫内閣 | 1976年12月24日 - 1977年11月28日 | 沖縄開発庁長官 | |
25 | 稲村佐近四郎 | 改造 | 1977年11月28日 - 1978年12月7日 | 沖縄開発庁長官 | |
26 | 三原朝雄 | 第1次大平内閣 | 1978年12月7日 - 1979年11月9日 | 沖縄開発庁長官 | |
27 | 小渕恵三 | 第2次大平内閣 | 1979年11月9日 - 1980年7月17日 | 沖縄開発庁長官 | |
28 | 中山太郎 | 鈴木善幸内閣 | 1980年7月17日 - 1981年11月30日 | 沖縄開発庁長官 | |
29 | 田邊圀男 | 改造 | 1981年11月30日 - 1982年11月27日 | 沖縄開発庁長官 | |
30 | 丹羽兵助 | 第1次中曽根内閣 | 1982年11月27日 - 1983年12月27日 | 沖縄開発庁長官 | |
31 | 中西一郎 | 第2次中曽根内閣 | 1983年12月27日 - 1984年6月30日 | 沖縄開発庁長官 |
代 | 氏名 | 内閣 | 在任期間 | 備考 |
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総理府総務副長官(政務担当) | ||||
1 | 細田吉蔵 | 第1次佐藤内閣 | 1965年6月3日 - 1966年8月2日 | |
2 | 上村千一郎 | 1966年8月2日 - 1966年12月3日 | ||
3 | 1966年12月3日 - 1967年2月17日 | |||
4 | 第2次佐藤内閣 | 1967年2月17日 - 1967年11月28日 | ||
5 | 八木徹雄 | 1967年11月28日 - 1968年12月3日 | ||
6 | 鯨岡兵輔 | 1968年12月3日 - 1970年1月14日 | ||
7 | 湊徹郎 | 第3次佐藤内閣 | 1970年1月20日 - 1971年7月9日 | |
8 | 砂田重民 | 1971年7月9日 - 1972年7月7日 | ||
9 | 小宮山重四郎 | 第1次田中角榮内閣 | 1972年7月7日 - 1972年12月22日 | |
10 | 第2次田中角榮内閣 | 1972年12月22日 - 1973年11月25日 | ||
11 | 小渕恵三 | 1973年11月25日 - 1974年11月15日 | ||
12 | 高鳥修 | 1974年11月15日 - 1974年12月9日 | ||
13 | 松本十郎 | 三木内閣 | 1974年12月12日 - 1975年12月26日 | |
14 | 森喜朗 | 1975年12月26日 - 1976年9月20日 | ||
15 | 橋口隆 | 1976年9月20日 - 1976年12月24日 | ||
16 | 村田敬次郎 | 福田赳夫内閣 | 1976年12月24日 - 1977年11月28日 | |
17 | 越智通雄 | 1977年11月28日 - 1978年12月7日 | ||
18 | 住栄作 | 第1次大平内閣 | 1978年12月8日 - 1979年11月9日 | |
19 | 愛野興一郎 | 第2次大平内閣 | 1979年11月9日 - 1980年7月17日 | |
20 | 佐藤信二 | 鈴木善幸内閣 | 1980年7月17日 - 1981年11月30日 | |
21 | 福島譲二 | 1981年11月30日 - 1982年11月27日 | ||
22 | 深谷隆司 | 第1次中曽根内閣 | 1982年11月27日 - 1983年12月27日 | |
23 | 堀内光雄 | 第2次中曽根内閣 | 1983年12月27日 - 1984年7月1日 |
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