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『終戦のエンペラー』(しゅうせんのエンペラー、原題英: Emperor)は、企画・奈良橋陽子、監督・ピーター・ウェーバーによる2012年のアメリカ合衆国の歴史映画。
終戦のエンペラー | |
---|---|
Emperor | |
監督 | ピーター・ウェーバー |
脚本 |
ヴェラ・ブラシ デヴィッド・クラス |
原案 | 芥川保志 |
原作 |
岡本嗣郎 『陛下をお救いなさいまし 河井道とボナー・フェラーズ』 |
製作 |
奈良橋陽子 ゲイリー・フォスター 野村祐人 ラス・クラスノフ 芥川保志 |
出演者 |
マシュー・フォックス トミー・リー・ジョーンズ 片岡孝太郎 初音映莉子 中村雅俊 西田敏行 桃井かおり |
音楽 | アレックス・ヘッフェス |
撮影 | スチュアート・ドライバーグ |
編集 | クリス・プラマー |
製作会社 |
クラスノフ・フォスター・プロダクションズ フェラーズ・フィルム |
配給 |
ロードサイド・アトラクションズ/ライオンズゲート 松竹 |
公開 |
2012年9月14日(TIFF) 2013年3月8日 2013年7月27日 |
上映時間 | 107分 |
製作国 | アメリカ合衆国 |
言語 |
英語 日本語 |
興行収入 |
$3,346,265[1] 12.1億円 $14,858,240[2] |
第二次世界大戦終戦直後の連合国軍占領下の日本を舞台に、昭和天皇が戦犯として裁かれることをいかにして回避したかを、実在する米軍軍人でそれに大きく関与したとされるボナー・フェラーズを中心にフィクションを交えながら描く[注釈 1]。主な撮影はニュージーランドで行なわれたが[3]、日本国内でのロケも行われ、商業映画としては初めて皇居敷地内での撮影も許可されている[4]。
1945年8月30日、GHQ最高司令官ダグラス・マッカーサーが日本に上陸し、アメリカによる本格的な日本統治が始まる。マッカーサーは戦争犯罪人の一斉検挙とその戦争犯罪を裁くため、活動を開始する。
折からアメリカ本国では、天皇の訴追を求める声が政府にも国民世論にも多数を占めていた。その一方、極東における「反共の防波堤」建設を重要視し、また後年の政界進出、大統領選出馬をにらむマッカーサーにとっては、日本の戦後統治で成功を収めることが是が非でも必要あり、その観点から、天皇を逮捕処刑することによる日本国民の反発を避けたいと彼は考えていた。マッカーサーは日本の開戦、真珠湾攻撃の意志決定に天皇の関与が決定的影響を及ぼしたのか否か、部下に調査を命じる。
マッカーサーの命を受け、知日家のボナー・フェラーズ准将は調査を開始するが、彼自身も開戦前の大学時代に知り合った元恋人の島田あやの安否を気に掛けていた。
10日間という短い時間の制約の中で、フェラーズは東条英機元首相、近衛文麿元首相、木戸幸一内大臣、関屋貞三郎宮内次官らと接触し、開戦に天皇がどのように関与したかを聴取していく。マッカーサーが本国を説得するため必要としていたのは天皇が開戦意志の決定に関与していないという証拠だったが、立憲君主故に天皇が御前会議でも「お気持ち」のほのめかししかしておらず、また白黒をつけない日本の文化により、不関与の証拠も、また確たる開戦命令の事実も見出せない。しかも、調査のかたわらフェラーズが消息を求めるあやは既に空襲で死亡していることもわかった。
フェラーズは悲嘆に暮れるが、それでも調査を継続。その結果、御前会議で天皇が日露開戦時の明治天皇の御製を引用して開戦への反感を示したことに加え、木戸からは「極秘」の証言として、天皇が閣僚側近らに対し「降伏」の意志に「同意してほしい」と求めたことが終戦の決め手となったことを知らされた。フェラーズはある確信を得る。
フェラーズからの報告を聞いたマッカーサーは、証言以外、証拠となる文書も無いことに不満を露わにした。しかし、調査書を読んだマッカーサーは天皇の人物像に強く興味を持ち、天皇との会談を準備するようフェラーズに命じる。
会談は赤坂の米国大使公邸で行われた。天皇は側近の制止を振り切ってマッカーサーの握手に応じ、タブーとされていた間近での写真撮影も受ける。そしてまず、全責任は自分にあり、懲罰を受けるのは日本国民ではないと述べる。これを聞いたマッカーサーは、懲罰の話をするのではなく、日本の再建のためにあなた(天皇)の力を貸してほしいと応じ、会話は和やかに進んでいく。亡きあやの祖国の将来に明るい兆しを感じフェラーズは、満足げに会見室を後にするのだった。
宮内省職員として働いていた関屋貞三郎を祖父に持つ奈良橋は子供の頃から戦中戦後の事について祖父から聞いており、その影響でさまざまな資料を調べる中でボナー・フェラーズに目を留め本企画を立ち上げると、日本にいた経験もあるデヴィッド・クラスに持ち込む。初映画化となる占領下の日本と言う設定に魅了され、ゲイリー・フォスターやラス・クラスノフ、野村祐人も制作チームに参加が決まった。フォスターは心理描写を膨らませるため脚本家ヴェラ・ブラシを招き入れる。
歴史コンサルタントのペドロ・ロウレイルからも、アドバイスをうけ、さらにイギリス人のピーター・ウェーバーを監督に迎える。制作側はウェーバー参加について「作品に客観的な視線が加わった」と述べている。ウェーバー自身も日本の歴史を知っていたが、本作を「歴史の隅に追いやられた出来事」と考え、映像化に夢中になって制作に没頭し、調査のために何度も来日した[5]。
奈良橋は資料を調べる中で、フェラーズが友人と会うと記して頻繁に出かけていることに着目し、恋愛が絡んでいるのだろうと想像した。また伯父に映画の話をしたときに、情熱的な愛のエピソードがあると良いと言われたことも理由に挙げている。制作側はフィクションを含むことで作品の自由度が増したと述べている[5]。
2012年9月に第37回トロント国際映画祭でプレミア上映された[6]。
米国内では公開後、「日本の戦争責任を無視し、過剰に美化している」という痛烈な批判に晒された。また米国での興行成績は3億円程度と全く振るわなかった。
日本では301スクリーンで公開され、2013年7月27日、28日の2日間で興収1億8,316万6,700円、動員15万7,964人になり映画観客動員ランキング(興行通信社調べ)で初登場第4位となった[7]。日本での最終興収は12.1億円[8]。
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