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宝亀10年(779年)従五位下・造東大寺次官に叙任され、翌宝亀11年(780年)因幡介に遷る。
天応元年(781年)桓武天皇が即位すると、春宮亮に任ぜられ、春宮・早良親王に仕える。延暦3年(784年)従五位上に昇叙される。延暦4年(785年)9月に藤原種継暗殺事件が発生すると、直前まで春宮大夫を務めていた故・大伴家持や東宮学士・林稲麻呂ら他の春宮坊の官人と共に連座して、白麻呂は隠岐国への流罪となる。
没年は不明だが、延暦25年(806年)桓武天皇が重態となる中で恩赦があり、藤原種継暗殺事件で罰せられた者に対する復位がおこなわれ、白麻呂は正五位上の贈位を受けている。
『六国史』による。
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