紀元前366年

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紀元前366年(きげんぜん366ねん)は、ローマ暦の年である。

当時は、「マメルキヌスとラテラヌスが共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元388年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前366年と表記されるのが一般的となった。

他の紀年法

できごと

ペルシア帝国

ギリシア

  • アテナイは、エーゲ海コス島コス (Kos) の町の建設を始めた。
  • テーバイの指導者エパメイノンダスは、アカイア同盟の諸都市を味方につけるべく、ペロポネソス半島に3度目の侵攻を行なった。テーバイ軍に戦闘を挑むものはいなかったが、エパメイノンダスが各地に設けた民主的統治の政権はいずれも長続きせず、親スパルタの貴族たちによる寡頭制政権が次々と復活し、諸都市とスパルタの関係をより緊密にする結果となった。
  • テーバイはスパルタと和睦し、矛先を、海上帝国の再生を期しつつマケドニア王国の内紛に介入していたアテナイに向けるようになった。
  • テーバイは、オロポス (Oropos) を陥れた。

シチリア

共和政ローマ

中国

  • が宅陽で会合した。
  • が魏と韓の連合軍を洛陰で破った。

芸術

誕生

死去

脚注

関連項目

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