米川みちこ
日本の児童文学作家 ウィキペディアから
米川 みちこ(よねかわ みちこ、1925年7月31日 - 2013年)は、日本の児童文学作家。本名・道子。

来歴・人物
三重県津市出身。児童文学作家坪田譲治に師事し「びわの実学校」に参加[2]。
戦後、戦災孤児や浮浪児の救済のため、藤沢市(現綾瀬市)の救護施設『唐池学園』に従事。
代表作『ぐみの木の丘』は作者の唐池学園での経験によるものである[3]。
著作・作品
- 『小さなかめと小さな花たば』 (斎藤博之絵、金の星社、創作こどもらいぶらり 5) 1971年[4]
- 『ぐみの木の丘』(斎藤博之絵、金の星社、創作児童文学 9) 1972年
- 「さんちょっぱのしん」(日本児童文学者協会編、偕成社、子どものひろば4年生『四年四組さくら色』) 1976年
- 『はっぱのてがみ』(田中恒子絵、太平出版社、太平ようねん童話おはなしゆうえんち) 1979年
- 『オンオンちゃんとヒイヒイちゃん』(山内恵美子画、教育画劇)
- 『オンオンちゃんとヒイヒイちゃん』(後藤喜美絵絵、日本童話会、「童話」昭和51年7月号)
- 『かわいがっていた動物 / サザンカのおはか』(偕成社) 1974年
- 『三重県の民話・阿漕の平治』(偕成社) 1982年
- 『めんこのけっとう』(日本事務能率協会) 1969年
- 「ゆりちゃんのビー玉」(びわの実学校 第16号)
- 「ホロリさんの留守番」(内田慶三絵、びわの実学校 第20号) 1966年
- 「ひげなしせんちょうさん」(しのとおすみこ絵、びわの実学校 第35号)
- 「るうちゃんとリコ 野うさぎみみ子」(びわの実学校 第65号)
- 「かえる 百ぴき」(旺文社、小2ホームクラス) 昭和46年
- 「独楽」(旺文社、小5ホームクラス) 昭和47年
- 「光化学スモッグをやっつけろ」(旺文社、小2ホームクラス) 昭和47年
- 「大きなわすれもの」(旺文社、小2ホームクラス) 昭和47年
- 「お月さまにもらったすず」(旺文社、小2ホームクラス) 昭和49年
- 「めんこのケン」(斉藤としひろ絵、旺文社、小3ホームクラス) 昭和49年
- 「ペンキ、ぬりたて」(高志孝子絵、旺文社、小1ホームクラス) 昭和50年
- 「お日さま つぶし」(斉藤としひろ絵、旺文社、小3ホームクラス) 昭和51年
- 「うおんとひいひい」(高志孝子絵、旺文社、小1ホームクラス) 昭和54年
- 「バラをはこんだふうせん」(こもりときこ絵、旺文社、小2ホームクラス) 昭和50年
家族・親族
関連項目
脚注
関連項目
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.