第二十八号型駆潜艇
日本海軍の駆潜艇 ウィキペディアから
概要
前艦型である第十三号型駆潜艇は保針性能がやや悪かったので、本艦型は艦尾船底の形状を改め、艦尾側面は垂直となった。また戦時量産に適するよう艤装や船殻が簡易化されたが、松型駆逐艦や海防艦で実施したような徹底的なものではなかった。その他兵装等に違いはなく、実質的には第十三号型と同型艇である[1]。
戦時中は船団護衛を主任務とした。他の海軍艦艇と同様機銃の増備が実施され、25mm機銃3挺が追加装備された。また探照燈を移動し、その位置に22号電探1基を装備した。その他、爆雷投下軌条が2基に増強された。
終戦時9隻が残存、国内にあった無傷の2隻が復員輸送に従事した。
同型艦
要約
視点
- 艦番:竣工日(造船所)。喪失日(場所)、または戦後の様子。
造船所は鶴見=日本鋼管鶴見造船所、播磨=播磨造船所、三井玉=三井造船玉造船所、石川島=東京石川島造船所、函館=函館船渠、日立因島=日立造船因島工場、香焼島=川南工業香焼島造船所、新潟=新潟鉄工所、浪速=浪速船渠。
- 第28号:1942年5月15日竣工(鶴見)。1945年2月1日敵機の攻撃により沈没(ルソン島北方)。
- 第29号:1942年4月30日竣工(播磨)。1944年2月18日トラック島空襲により沈没(トラック島)。
- 第30号:1942年5月13日竣工(三井玉)。1944年12月24日敵潜の雷撃により沈没(ボルネオ北西)。
- 第31号:1942年6月15日竣工(石川島)。1945年1月12日敵機の攻撃により沈没(仏印南部)。
- 第32号:1942年8月19日竣工(鶴見)。1944年9月24日敵機の攻撃により沈没(コロン湾)。
- 第33号:1942年8月15日竣工(三井玉)。1945年3月21日敵機の攻撃により沈没(カムラン湾)。
- 第34号:1942年8月31日竣工(播磨)。1945年3月26日英艦と交戦沈没(アンダマン諸島沖)。
- 第35号:1943年2月28日竣工(函館)。1945年2月23日敵機の攻撃により沈没(仏印南部)。
- 第36号:1942年10月15日竣工(石川島)。1944年11月19日敵機の攻撃により沈没(フィリピン・スービック湾)。
- 第37号:1942年10月31日[2]竣工(三井玉)。1945年5月22日敵機の攻撃により沈没(奄美大島)。
- 第38号:1942年12月10日竣工(鶴見)。青島で終戦。
- 第39号:1942年10月31日竣工(播磨)。1944年2月16日敵機の攻撃により大破座礁放棄(カビエン)。
- 第40号:1943年3月31日竣工(日立因島)。1944年2月19日敵機の攻撃により沈没(ビスマルク諸島)。
- 第41号:1943年1月31日竣工(香焼島)。シンガポールで終戦。1946年8月3日海没処分(シンガポール沖)。
- 第42号:1943年5月31日竣工(日立因島)。1945年7月31日女川港付近で雷撃を受け損傷、そのまま終戦。
- 第43号:1943年4月7日竣工(新潟)。1945年1月12日敵機の攻撃により大破炎上擱座、そのまま放置(カムラン湾)。
- 第44号:1943年5月15日竣工(香焼島)。1945年春に南方への護衛船として横須賀港を出港、相模湾沖にて米軍機の攻撃に遭いスクリューを破損。航行不能となり、入れ替わりに帰港する他船に曳航されて横須賀港へ帰還。主機の修理を施されることなく放置され終戦を迎える。終戦後、解体。
- 第45号:1943年10月15日竣工(函館)。1944年11月29日オルモック輸送作戦中に敵機の攻撃により沈没(セブ島東方)。
- 第46号:1943年9月30日竣工(日立因島)。1944年11月25日オルモック輸送作戦中に敵機の攻撃により沈没(マスバテ島付近)。
- 第47号:1943年8月12日竣工(香焼島)。横須賀で終戦、復員輸送に従事。1947年10月アメリカへ引き渡し。
- 第48号:1943年7月31日[3]竣工(新潟)。1945年7月14日、釜石艦砲射撃への応戦中に敵機の攻撃により沈没(釜石湾)。
- 第49号:1944年1月31日竣工(函館)。佐世保港で終戦、復員輸送に従事。1947年10月3日青島で中華民国に引き渡し。
- 第50号:1943年11月30日竣工(日立因島)。1944年7月20日敵機の攻撃により沈没(父島)。
- 第51号[II]:1943年11月8日竣工(香焼島)。1945年7月28日横須賀で敵機の攻撃により損傷、そのまま終戦。
- 第52号[II]:1943年11月30日竣工(浪速)。1945年8月14日佐世保付近で敵機の攻撃により損傷、そのまま終戦。
- 第53号[II]:1944年3月20日竣工(浪速)。1944年11月28日オルモック輸送作戦中に敵機の攻撃により沈没(オルモック沖)。
- 第54号:1943年11月12日竣工(新潟)。1944年3月25日米潜「ポラック」の雷撃を受け沈没(父島北東)。
- 第55号:1944年5月31日竣工(函館)。1944年9月13日敵機の攻撃により沈没(セブ島北)。
- 第56号:1944年7月26日竣工(浪速)。スラバヤで終戦。
- 第57号:1944年10月28日竣工(函館)。1945年6月12日英艦と交戦沈没(スマトラ島サバン北)。
- 第58号:1944年1月26日竣工(新潟)。1945年5月22日敵機の攻撃により沈没(奄美大島)。
参考文献
- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第13巻 小艦艇I』(光人社、1990年) ISBN 4-7698-0463-6
- 日本造船学会『昭和造船史 第1巻』第3刷(原書房、1981年)ISBN 4-562-00302-2
脚注
関連項目
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