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龍野 喜一郎(りゅうの きいちろう、1902年(明治35年)9月27日[1] - 1981年(昭和56年)5月29日[2])は、昭和期の日本の政治家、内務官僚、実業家。衆議院議員、官選鹿児島県知事、初代大川市長。
福岡県出身[1]。第五高等学校を首席で卒業。1924年(大正13年)11月、高等試験行政科試験に合格。1925年(大正14年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。 内務省に入省し北海道庁属となる[3]。
以後、栃木県学務課長、鹿児島県農務課長、千葉県学務課長、鳥取県書記官・警察部長、宮城県書記官・警察部長、内閣情報部第二課長、京都府学務部長、警視庁刑事部長、兵庫県警察部長、近畿地方総監府第一部長などを歴任[1]。
1945年(昭和20年)10月、鹿児島県知事に就任し、1946年(昭和21年)7月まで在任。戦災の復興、食糧の確保、文教の革新などを推進した[1]。
その後、九州地方商工局長を務め、1947年(昭和22年)に退官[3]。1949年(昭和24年)1月、第24回衆議院議員総選挙で福岡県第3区に民主自由党候補として出馬し当選。衆議院議員を一期務め、第3次吉田内閣の法務政務次官となる[2]。1954年(昭和29年)4月、初代の福岡県大川市長に選出され、市長を三期務めた[1]。
その他、西日本貿易(株)取締役、九州紙工品協会長、(株)浜横川鉱業所社長、博多港開発社長、箱崎ユーティリティ(株)社長などを歴任[2]。
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