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立花 鑑任(たちばな あきたか)は、筑後国柳河藩の第4代藩主。
第3代藩主・立花鑑虎の次男。母は膳所藩主家一族本多康長の娘・真光院。正室は池田綱政の娘。諱(実名)は鑑任のほか、宗政(むねまさ、宗昌とも)、鑑春(あきはる)、鑑常(あきつね)を一時期名乗っていた。幼名は大助、勝千代。
天和3年1月7日(1683年2月3日)、江戸にて生まれる。長兄が早世していたため、元禄9年(1696年)7月に父が隠居する家督を継いだ。翌元禄10年(1697年)、叔父の立花貞晟に5,000石を分与している。貞晟を信頼しており、江戸留守居役に貞晟の意見を仰ぐように指示を出している[1]。また同年、別業御茶屋集景亭が完成する。これは現在の立花邸御花の前身である。
元禄16年(1703年)、江戸大地震による普請手伝いを命じられた。その後も朝鮮通信使の警護役を勤めたほか、田尻惣馬を登用して柳河城の修築、石垣普請などで手腕を見せた。
享保6年5月13日(1721年6月7日)、柳河にて39歳で死去。葬地は霊明寺。実子の勝千代が早死して嗣子なく末期養子の清直(後の貞俶)が跡を継いだ。
以下は鑑任より一字拝領をうけた家臣。鑑任は先述のとおり諱を宗政、鑑春、鑑常、宗昌と名乗った時期がある。
鑑春時代
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