禧子内親王
賀茂斎院 ウィキペディアから
Remove ads
賀茂斎院 ウィキペディアから
禧子内親王(きしないしんのう、保安3年6月27日(1122年8月1日) - 長承2年10月10日(1133年11月8日))は、鳥羽天皇の第一皇女。生母は中宮藤原璋子(待賢門院)。
保安3年(1122年)6月27日に生まれ、同8月2日に内親王に宣下され、同17日五十日の儀、同24日准三后とされた。大治元年(1126年)12月27日に着袴。
大治3年(1128年)4月13日、一品に叙された。長承元年(1132年)11月25日、賀茂斎院に卜定された(時の天皇は同母兄の崇徳天皇)。長承2年(1133年)4月18日初斎院に入ったが、9月2日病気のために退下し、10月10日薨去した。
鳥羽上皇・待賢門院の鍾愛を受けた皇女で、両院はたびたび斎院御所に御幸した。大変美しい姫宮であったことが『長秋記』に記されている(源師時は統子を「端正美麗、眼の及ぶ所に非ず」とした上で禧子の容貌を「是又、容顔斎院に勝ち給ふ」と絶賛した)。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.