福田 辰五郎(ふくだ たつごろう、明治2年10月1日[1](1869年11月4日) - 大正7年(1918年)8月5日[2])は、衆議院議員(維新会→新政会)、弁護士。旧姓・丸山。
経歴
武蔵国入間郡南畑村(現在の埼玉県富士見市)出身。自由民権運動活動家で埼玉県会議員・衆議院議員の福田久松の養子となる。1890年(明治23年)、東京高等商業学校(現在の一橋大学)を卒業し、翌年には東京法学院(現在の中央大学)を卒業。高等文官試験に合格して、前橋地方裁判所検事に任命された。1894年(明治27年)、横浜地方裁判所上席検事に昇進した。1898年(明治31年)、司法大臣曾禰荒助の勧めでアメリカ合衆国に留学した。アメリカではイェール大学・コロンビア大学で学び、博士号を取得した[3]。1902年(明治35年)に帰国した後は、官を辞して弁護士を開業した。
1917年(大正6年)、第13回衆議院議員総選挙に出馬し、当選した。
脚注
参考文献
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