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福清市(ふくせいし、福州語平話字:Hók-chiăng-chê フッチャンチェイ)は、中華人民共和国福建省福州市に位置する県級市。
福建省の東部、東シナ海に面した福清市は福州・莆田・長楽と隣接する。大陸部の他に、東シナ海に突き出た半島部と島嶼部がある。モンスーンや台風の影響を受ける温帯夏雨気候に属し、年平均気温18.8℃と温暖で降霜はみられない。年間降水量は1,525ミリメートルとやや少な目であり。夏から秋に集中して観測する。しかし降雨後直ちに海洋に流出するため水不足がしばしば発生している。
福清は、福州市街地とは多少語彙や音声面で差があるが、同じ福州語を話す地域である。しかし、例えば、シンガポールでは、福州人(Foochow)と福清人(Hockchia)は別の同郷会を作るなど、違いが意識されることが多い。このため、福清の方言を福清語と呼ぶ場合もある。東側の島にあたる平潭県の言葉は福清の方言に非常に近い。現在、高齢者などを除いて、多くの人は普通話も話すことができる。
日本在住の中国人で一番多い出身地は、福清市と言われている。
唐代までは長楽県の一部分であったが、699年(聖暦2年)、長楽県から万安県が分置され、742年には福唐県と改名された。908年(開平2年)、後梁は永昌県と改称、更に後唐による同光年間に福唐県に復名した後、933年(長興4年)に福清県と改称され現在の名称が誕生している。
宋代は福州に帰属し、元代には福清州が、明代になる1371年(洪武4年)に福清県に改称され、中華人民共和国時代に継承された。
下部に7街道、17鎮を管轄する
市内の工業としては採石業、ガラス工業が盛んであり、また沿岸部に位置し水産業も発達している。
農業に関しては平地が限定され、干ばつ被害もしばしば発生したことから発達せず、他の福建省沿岸部同様新天地を求め移住する移民を輩出した華僑の故郷となっている。500年以上前から海外移民も行われ清末までに台湾、マレーシア、インドネシア(ジャワ島のバンドンなど)、シンガポールなどの東南アジアを中心に日本の長崎にも江戸時代から福清出身者が多く訪れている。
近年では中東やアフリカ地域に進出す貿易などの商業活動に従事するケースも見られる。
かつて存在した福清大学は廃校となっている。
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